三沢光晴の断崖式タイガードライバー

1990年代の四天王プロレスを代表する激しい攻防は色々ありましたが、その代表格として挙げられるのは、断崖式があると思います。

エプロンサイドから場外に向けて大技を放つ断崖式は、全日本プロレス最高峰の3冠戦で使われる事が多く エプロンサイドでの攻防が始まるとヒヤヒヤしたものです。

 

断崖式と言えば、田上明の断崖式喉輪落としが発端ですが、インパクト面で言えば 数ある断崖式の中でも三沢光晴の断崖式タイガードライバーは、上位に来ると思います。

喉輪落としの様な 持ち上げて叩きつけるだけの動作としては単純な技ではなく リバースフルネルソンから回転させて落とすという少し複雑になった技をエプロンで仕掛ける事に驚きました。

それは破壊力に関してもそうです。

 

当時は既に必殺技としての神通力を失い 3冠戦クラスの試合では、フィニッシュにならなくなっていたタイガードライバーとはいえ、それを断崖式でやってしまうのには「相手が死んでしまうのでは!?」とすら思いましたから。

 

初公開されたのは1998年

時が経つにつれて激しさを増していた四天王プロレスは、1998年頃が正にピークともいえる時代。

四天王とは言っても、三沢を絶対的な頂点として、なかなか三沢に勝つ事の出来なかった川田利明、田上、小橋の3人…と言う図式が、しばらくの間 続いていましたが、この頃になると三沢が他のメンバーに負ける事も珍しくなくなっていました。

そんな中で彼らに勝つ為には、三沢も非情にならざるを得なかったのでしょう。

 

1998年に行なわれた小橋との3冠戦で繰り出された断崖式タイガードライバー。

 

タイガードライバーが、断崖式になってしまった事には誰もが驚き「ここまでやるのか?」とも思いましたが、絶大な信頼関係があった小橋だからこそ、三沢もこんな危険な技を繰り出す事が出来たのだと思います。

さすがに不安定な場所から横に流れる様に飛んで仕掛けるタイガードライバーは、普段のような美しさや安定感はなく、崩れた形になってしまいましたが、それがまたリアルであり、より危険な技だという事を印象付けたのではないでしょうか。

 

小橋はこの試合の前に「もし僕が死ぬ事があっても決して三沢さんを恨まないで」と母親に伝えていたそうですが、極限の四天王プロレスでは常にそれだけの覚悟を持ってリングに立っていたという事。

万が一の事など起こって欲しくは無いですが、プロレスに懸けるこの意識は、正直に凄いと思います。

 

四天王と呼ばれた あの四人での闘いは、三沢らの全日本退団により2000年に終焉を迎え、ここからノアでの新しいステージに進む訳ですが…全日本プロレスでの四天王プロレス。

それを象徴するのが断崖式ならば、その断崖式の最後の到達地点が、この断崖式タイガードライバーでした。