高山善廣「これがプロレスなんだ」

2000年代に、プロレス界の帝王として日本マット界に、絶大なインパクトと多大なる実績を残した高山善廣

その高山とて当然ながら、最初から帝王としての地位を築いていた訳ではありません。

 

UWFインターナショナルで、デビューした高山は、その恵まれた体格でメキメキと頭角を表すも プロレスラーとしては、まだまだ線が細く 軽量級の多いUインターの日本人選手ならいざ知らずヘビー級が相手となると やはり分が悪い部分はありました。

ゲーリー・オブライトやベイダーの巨漢外国人には勿論の事、新日本との対抗戦でも橋本真也や佐々木健介には、それまで猛攻を仕掛けていても フィニッシュの畳み掛けで一気にやられてしまう事も少なくありませんでした。

 

UWF系を純プロレスと同列に語るのは、違うかも知れませんが当時の高山には、明らかにプロレスラーに必要なパワーやスタミナ、タフさが欠けていたのは、ファン目線で見ても明らかでした。

高山本人も やはりそれは痛感していた様ですが、それを如実に決定付けたのは1997年の全日本プロレス参戦時でしょう。

当時の全日本で行われていた四天王による闘いは、世界で最も激しいプロレスとも言われ、他所からきた人間がそこに飛び込むには、相当厳しかった筈です。

 

なんせ高山が最も自信を持つエベレストジャーマンを三沢光晴や川田利明に放っても 3カウントを奪う以前に、直ぐに起き上がり反撃してくるし、自分より身体は小さい筈なのに、余りにも強烈な打撃と投げ技。

当時の高山にしてみれば、今まで自信をもってやってきた自分のプロレスが通用しないので、かなりのカルチャーショックを受けたそうですが、最もそれを感じたのは、三沢光晴だったと言います。

 

「これがプロレスなんだ」

 

三沢との闘いで、高山は改めてこう感じたそうです。

全日本ファンならずとも三沢の天才的な受けの巧さ、一撃で流れを変える強烈なエルボーは、誰もが認めていたと思いますが、それは実際に闘った高山なら特に強く感じた事でしょう。

特に三沢のエルボーには、実際のダメージ以上の衝撃を受けたとか。

 

もちろん三沢だけではなく、川田利明や小橋建太らとの闘いが、高山に大きな影響を与えた事は言うまでもなく この全日本参戦を機に高山は、大きく変わっていく事になります。

 

まずは身体を大きくして、ヘビー級にも当たり負けしない強靭な身体を作り上げ、大きな身体を活かした攻めや、観客を飽きさせない為の立ち回り。

様々な事をジャイアント馬場に教わり、四天王との闘いの中で身につけていく事で、帝王とまで呼ばれるようになり、メジャー三団体のシングルとタッグ全ての王座を獲得するグランドスラムにまで行き着いた訳です。

 

1997年に始まった高山の全日本プロレス参戦は、U戦士としてではなく純プロレスラーとしての高山の原点。

「これがプロレスなんだ」

デビュー戦から5年以上たって ようやくプロレスに辿り着いた事になりますが、これはそれまで参戦経験のあったUインターや新日本、WARが駄目だったという訳ではなく 高山の求めるプロレスが全日本プロレスにあったという事でしょう。

 

2000年代のプロレスは、プロレスが落ち込んだ時期ではありましたが、帝王・高山が大いに掻き回してくれてたお陰で、盛り上がった部分は確実にありました。 

それを考えると帝王を作り出した90年代後半の全日本の功績は、計り知れないと思います。

 

それと同時に、Uインター時代に期待の新人と言われながらも弾けきれなかった高山が、まさか全日本でブレイクするとも思わなかったし、あんな傍若無人なキャラに変貌するとも思わなかったので、誰がどこでどの様にブレイクするかなんては、このプロレス界・・・分からない物ですね。