2000年初頭は、日本プロレス激動の時期でした。 ミスターIWGP・橋本真也の新日本解雇 三沢光晴の全日本社長退任から退団 そして この両者がZERO-ONEとNOAHをそれぞれ設立。 この二人の周辺の出来事だけでも […]
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2005年7月11日は、破壊王・橋本真也が逝去した日です。 この日は多くのプロレスファンが、悲しみに暮れました。 この時期の橋本は、肩の負傷で満足のいくファイトも出来ず 自ら旗揚げしたZERO-ONEを追われ 冬木未 […]
橋本真也の代名詞と言えばDDT 橋本の全盛期を観て来た人は、橋本のDDTなんか腐るほど観て来たと思います。 その橋本のDDTでも個人的に、最も衝撃を受けたのが、2000年の「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退」 […]
蹴りを使う選手は数多くいますが、やはり蹴り技はカッコ良いし絵になります。 個人的に最も名場面と思うのは、1996年4月の高田延彦vs橋本真也のIWGPヘビー級選手権です。 1月に、高田が武藤敬司に10・9のリベンジを […]
1999年1月4日は、当時の新日本プロレスファン そして橋本真也ファンにとっては、忘れられない1日になったと思います。 NWO全盛期で、黄金期とも言える新日本プロレスが、暗黒期に至るまでのきっかけとなったのは、紛れもなく […]
1992年の1.4 東京ドーム 橋本真也vsビル・カズマイヤの一戦です。 既に新日本のトップの一角となっていた橋本と カズマイヤと言う新日本初参戦の見慣れない外国人の一戦は、ドームでやるには物足りないと感じていた人が […]
いまだに、語られる事の多い橋本真也の名言。 1990年 橋本は、師匠越えを果たすべく東京ドームでのアントニオ猪木戦をかねてから口にしていました。 そこにライバルの蝶野正洋も割って入り 結局 橋本と蝶野が組み 猪木は、 […]