長州力の有名な言葉ですね。
長州のこの発言のキッカケとなったのは、1992年 G1・2連覇を果たした蝶野正洋が、雑誌のインタビューで「高田さんと闘ってもいい」と発言した事から。
蝶野としては、闘いたい相手と言う事で、Uインターの高田延彦の名前を出しただけだと思うのですが、Uインターの取締役の宮戸優光と安生洋二が、当時Uインター顧問を務めていたルー・テーズを引き連れて新日本事務所にアポなし訪問。
この時点で、ルール違反なのですが、新日本サイドとしても強引に話を進めに来られても快く承諾する訳には、いきません。
リスク料や巌流島でバトルロイヤルでの挑戦者決定戦など、Uインターが絶対に飲まないであろう条件を突きつけ交渉は決裂します。
この話はここで終わったのですが、両陣営の間に確執が残ったのは確かです。
1993年にはUインターは、新日本の外国人エースだったビックバン・ベイダーを引き抜きますが、新日本としては当然これも面白い筈がありません。
そして決定的なのが、1994年
Uインターは、優勝賞金1億円を現金で用意して それを記者会見でチラつかせながら最強を決めるトーナメント開催をブチ挙げ
新日本・橋本真也
全日本・三沢光晴
WAR・天龍源一郎
パンクラス・船木誠勝
リングス・前田日明
この日本マット主要5団体のエースに対して 一方的に参戦招待状を送付したのです。
団体内での挑戦表明ならともかく 本来プロレス界での他団体への挑戦状となると公にする前に、事前交渉があってこその物。
普通に考えて野試合じゃあるまいし ルール無視の自分勝手な挑戦状を受ける訳にはいかないし 受けた所で、Uインターが潤うだけの話。
受けなければ、逃げたと取られかねない。
どっちに転んでもメリットの無い なかなかズルいやり方な訳です。
この事前に根回しのないやり方は、信頼関係を第一とするプロレス界においては完全なタブー行為です。
当然の如く 招待を受けた団体・選手は、全団体が、ことごとく参戦拒否。まぁ当然でしょうね。
このUインターのやり方に、最も不快感を示したのが、以前から団体間で確執のあった新日本の現場監督の長州でした。
この全団体に対して攻撃的な挑発を主導したと思われる “Uインターのブレーン”宮戸優光に対し
「あいつがくたばったら、墓にクソぶっかけてやる!」
長州が、こう言ったのは余りにも有名な話です。
他団体との対抗戦では、特に最も大事な信頼関係が、Uインターのこの行為によって完全に消滅したので、今後 絡む事はもう無いと思われていましたが、この翌年1995年には新日本とまさかの全面対抗戦が実現してしまうのだから プロレスは分からない物です。
新日本以上に無いと思われていた全日本までもが、1997年にはUインターと交流を開始するのだから プロレス界に「絶対」と言う言葉は、存在しないと言う事が良く分かります。
まぁ でもあの当時のあの5選手に、高田を含めてのトーナメントは、確かに見たかった気はしますが、仮にUインターがタブーを犯さなかったとしても当時の日本マット事情では、どう足掻いても実現不可能だった夢物語でしょう。