Jr.八冠王者が生まれた日

1996年8月5日は、様々な団体のJr.ヘビー級の王座を統一したJr.八冠王者が生まれた日です。

 

8月2日から5日にかけて今なお語り継がれる J-CROWNが開催。

6月に行われたTHE SKY DIVING-Jの勝者達を中心に、8人のJr.ヘビー級の選手が集結し 各試合がタイトルマッチのトーナメントを行うと言う物凄い企画です。

 

つまり一回戦で、お互いのベルトを掛けた ダブルタイトル戦

2回戦で、それぞれ2本のベルトを掛け

決勝戦では、4本のベルトをお互いに掛けて

優勝すれば8本のベルトを手に入れる事になる訳です。

 

参加者は

グレート・サスケ(IWGPJr.ヘビー級)

獣神サンダー・ライガー(英連邦Jr.ヘビー級)

エルサムライ(WWF世界ライトヘビー級)

大谷晋二郎(UWA世界Jr.ライトヘビー級)

ウルティモ・ドラゴン(インターナショナルJr.ヘビー級)

グラン浜田(WWA世界Jr.ライトヘビー級)

茂木正淑(NWA世界Jr.ヘビー級)

ネグロ・カサス(NWA世界ウェルター級)

 

この参加選手も送り出した団体もリスクを省みずに協力したと言う事は、現代以上に業界が一丸となって プロレスを盛り上げていたと言う事でしょうか?

大会自体は、大盛り上がりで優勝候補のライガーが、ウルティモに丸め込まれ  まさかの一回戦脱落と言う波乱もありました。

ライガーは、この時点でウルティモに対して2戦2勝と負け無しだったので もしかしたら3回目は「ウルティモが勝つんじゃないかな?」とは思っていましたが、まさか秒殺負けとは思いもしませんでしたね。

 

この手の波乱が、大会を面白くする要因ではあるのですが、新日本代表のサムライと大谷も準決勝で姿を消し 決勝戦はウルティモvsサスケ

WAR vs みちのくプロレスです。

よもや新日本が決勝戦に、一人も勝ち上がらないと言う結末は、全く予想できませんでした。

 

最終的には、IWGP王者のサスケがウルティモを降し優勝

8本のベルトを手中に納めた姿は、正に圧巻でした。

 

この時は、さすが「新日本でサスケ活躍しすぎじゃないか!?」と思いましたが、まぁこればっかりは、しょうがないですね。

サスケが、それ程の選手だったのですから。

 

これでJr.八冠王座と言う統一王座が生まれた訳ですが、結局約10カ月で7冠となり1年で解体となり ベルトは、それぞれの管理団体に返却されました。

興業上の問題であったりと大人の事情が、色々とあるので しょうがないんですがJ-CROWNと言うリスクだらけの大会に、賛同して協力してくれた各選手とその所属団体は、本当に凄いと思います。

 

当時 鎖国政策を貫いていた全日本プロレスは、一貫して Jr.オールスター的な大会には参加しませんでしたが、それでも これは本当に夢のある大会でした。

 

25年の時を経て来年当たりに

第二回J-CROWN開催!!

 

無いだろうなぁ・・・