実力者として知られるデイブ・フィンレーですが、1980年代に新日本プロレスに初来日して初代タイガーマスクと闘っていた頃は、正直全く知りません。
フィンレーを初めて知ったのは、1990年代前半に来日した時ですが、この頃のフィンレーは既に欧州の実力者と呼ばれ キャリア10年を越えるベテラン選手でしたが、日本での扱いに関してはお世辞にも良いとは言えず、印象は・・・まぁ地味で長髪の緑のコスチュームを着た外国人と言う感じでしたね。
その時は、そんな程度の認識しかありませんでした。
トップ・オブ・ザ・スーパーJr.にも3度出場していましたが、ハッキリ言って人数合わせ的な感も強く 時にはペガサスキッドに勝ったりと、上位陣を食った事は有る物の成績的には奮わず、優勝戦線に深く関わった事は一度も有りませんでした。
その頃は僕もプロレスを見始めて そんなに経っていなかったので、単純に星取を見て ”強い弱い” を判断していて、IWGPJr.ヘビー級に挑戦した事も一度も無いし、大した活躍をしている訳でもないのに、何故か毎年スーパーJr.に参加して来る良く分からない外国人と・・・こんな事を思ったりしてました。
しかし1994年に、フィンレーに対する考えが少々変わりました。
ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.と名前を変えて開催されたJr.の祭典。
この年も例年同様フィンレーは出場しており、開幕戦で獣神サンダー・ライガーとの公式戦を迎えたのですが、まぁ言っちゃえばライガーは優勝候補本命で、フィンレーは人数合わせ要因だと思っていたので、ここは順当にライガーが勝つだろう・・・と思っていたらまさかの展開に。
何だかライガーが、巧くペースを掴めずに追い込まれています。
あれ?
なんか フィンレーってこんなに強かったっけ?
何度かヒヤリとする場面があった物の、それでも最後はライガーがキッチリ逆転勝利をすると信じていたのですが、試合終盤にフィンレーが狙ったのは、サイドスープレックス。
抱えあげられるライガー
いや サイドスープレックスでは有りませんでした。
抱えあげた時点で、両膝を突きながらパワーボムの様に、真下にライガーを後頭部から叩きつけたのです。
これは、かなり強烈でした。
「まさか・・・」と言うのが頭をよぎりましたが、やはりライガーは動く事が出来ずに、3カウントを献上してしまいました。
両膝を突く形のドクターボムと言った所でしょうか。 表記上はサイドアップパワーボムとなっており、これは中々インパクトのある一撃で、結構な急角度で叩きつけていたので、あのライガーが敗れたと言うのも納得の必殺技だったと思います。
今まで単なる地味な外国人だと思っていたフィンレーが、強さを存分に見せつけた上で、強烈なフィニッシュホールドを得て、この大会 台風の目となる予感をも感じさせた程です。
結果的には、優勝戦線に絡む所まではいきませんでしたが、大谷晋二郎やTAKAみちのくも 強烈なサイドアップパワーボムの前にKOされており、この新技の破壊力を如何なく発揮していました。
しかし地味な印象のあった、フィンレーがボム系の技を使った事には驚きましたが、完全にサイドスープレックスだと思った所を、まさかのサイドアップ・パワーボムだったので、見ている側も驚いたし、受けた側も驚いたのではないでしょうか?
このフィンレーの活躍が有ったからこそ、この年のリーグ戦の星取表が盛り上がった事は
言うまでも有りませんが、この後に何故か新日本での来日が途絶えたのは、残念な限り。
目立たなかった時に何回も呼んでたのに、覚醒すると同時に呼ばなくなるって、どう言う事よ。