1995年
これまで常に、新日本のトップ戦線でバリバリやっていた馳浩が、突如として政界進出を果たし プロレスに専念する事が、出来なくなってしまいました。
アントニオ猪木が、当時やっていた様に政治の合間をぬって プロレスの試合をする覚悟だった様ですが、2足の草鞋を良しとしなかったのが現場監督だった長州力。
本人の意思とは裏腹に、翌年1996年の1・4東京ドーム大会で”ノーザンライトファイナル”と銘打ち 馳浩の引退試合が、発表されてしまったのです。
当時は絶対的な権力を持っていた長州に、そう言われては、従う以外になく 馳は渋々従う事になります。
この時の馳は、まだ34歳 早過ぎる引退です。
対戦相手は、馳のライバルであり盟友でもあった佐々木健介。引退試合としては、これ以上無い人選でしょう。
両者がこの試合に挑むに当たっ て思う所は色々あったでしょうが、試合は互いの持ち技を全て出し尽くす熱戦となるも 馳がセミリタイアしてからの一年弱
Uインターと最前線で戦ってきた健介の意地が勝り ノーザンライトボムで勝利します。
フォールを奪ったあとも馳に覆い被さったまま なかなか動かない健介
これで終わりなのを受け入れたくないのか
泣いている所を見られたくなかったのか
馳と健介の友情を感じた瞬間でした。
そして試合後に、インタビュースペースで馳と供に並んだ健介が
「お互い10年しかやってないけど・・・たった10年だけど、最高の10年だ!」
こんな事を言われたら目頭が、熱くなっちゃいます。
年上のエリートの後輩、年下の雑草の先輩と微妙な関係ながら供に、ライバル心を隠すこと無く切磋琢磨してきた2人。
試合中の事故で、心肺停止になった馳を案じ病院で一人涙した健介。
健介の復帰戦の相手を買って出て叩き潰してくれた馳。
供にIWGPタッグを獲った事
健介の言葉を聞くと 馳と健介のこれまでが思い出されます。
2人の間には、間違いなく歴史と友情が、存在していたと思います。
この時は本当に馳の引退が、残念でなりませんでした。
まあ 結局10ヵ月後に、全日本で復帰しちゃうんですけどね。
本人は引退する気は無かったのに、強制的に引退させられ長州政権の元では、復帰する事は敵わないから これはしょうがない事なんですが、そもそも馳に、引退したと言う認識は、なかったみたいですし。
その後2006年には、今度こそ馳本人が納得の上での引退となります。
それは、別に良いんですけど 更にその数年後に何かのインタビューで馳が「プロレス界に友達は居なかった」とか言ってたような・・・
あれ?