今では様々な選手が、使用するデスバレーボム。
この技の元祖は、全日本女子プロレスの三田英津子ですが、現在では国内外・男女問わず多くの選手にそのままの形と名称で使用されています。
この技が世に出て来た1990年代前半は、まだまだ男子プロレスと女子プロレスは別物と強く考えられていた時代で、女子の技が男子に輸入されて来る事は、そうそう有る事ではありませんでした。
しかし そんな常識を打ち破ったのが、当時新日本プロレスのヤングライオンだった高岩竜一です。
当時のヤングライオンは、キャリアでは少し上になる金本浩二、山本広吉、西村修、小島聡
アマレス三銃士と呼ばれたレスリングの猛者の永田裕志、中西学、石沢常光
そして同期は、身体能力の塊である 大谷晋二郎
今見ても凄いメンバーですが、この時代は数も質も正に黄金時代で、これだけのメンバーが同時期にヤングライオンとして在籍していた時期があったんです。
金本や山本は直ぐに海外遠征に出た為に、金本と同時期に在籍していたのは僅かな期間ですが、それでもこれだけのメンバーと同時期にヤングライオンなんてやってたら、余程の選手じゃない限りは、間違いなく埋もれてしまいます。
やはり 強烈な個性と素質を持つ集団の中で、高岩は一歩出遅れた存在となってしまい、実力的にも実績的にもヤングライオンの下位に位置する期間が長く続いてしまいます。
しかし その現状を打破したのが、当時は考えられなかった女子プロからの技の流用であるデスバレーボムの使用でした。
この頃の新日本は、インディーや女子プロを別物と捉える 長州力やマサ斉藤の目も光っていたので、高岩としてもこの技を使う事には少なからず抵抗はあったでしょう。 それでも自分がノシ上がる為に「これだ!」思った技を使う事に拘り続けました。
その結果 これまで負け続けていた同期の大谷にも勝利したし、戦績的にも他のヤングライオン達にも肩を並べる所まで、駆け上がって行きました。
ヤングライオンの間では、一撃必殺のデスバレーボムは恐怖の技として恐れられ やがて高岩の代名詞となり、ヤングライオンとして抜擢された1994年のスーパーJr.では先輩のエル・サムライにも勝利(雪崩式でしたが) Uインターとの対抗戦でも猛威を奮いました。
現在では使用しませんが、デスバレーボムを決めてからホールドを解かずに、そのままフォールする形も編み出しています。
餅つきパワーボムからのデスバレーボムへの連携も素晴らしく、強烈な技に甘える事無く 高岩は色々な角度からデスバレーボムを磨き続けて来ました。
その結果 高岩は大谷と供に海外遠征前から新日本Jr.の中で闘うようになり、結局海外に行く事無くIWGPJr.ヘビー級奪取、IWGPJr.タッグ奪取、スーパーJr.制覇と新日Jr.の頂点にまで立ってしまったのです。
歴代の新日Jr.の選手達を見てもこれは凄い事です。
「辞めさせる為のシゴキ」を受けていた高岩が、ここまでのブレイクを果たすとはあの当時は誰も夢にも思っていなかった事でしょう。
餅つきパワーボムの使用や、高岩本人の惜しみない努力による所も大きいとは思いますが、高岩が世界最高峰と言われる新日Jr.の中で、頂点を獲れたのはあの時のあのタイミングで、デスバレーボムを使い出して、新日Jr.の一員になった事が大きいと思います。
そう言う意味では、デスバレーボムは新日本プロレスで、一番下に居た高岩竜一の運命を大きく変えた技かも知れませんね。