飯塚高史の魔性のスリーパー

飯塚高史と言うレスラーは、怨念坊主になってからはキャラクターを確立した事で、存在感を増す事に成功しましたが、それまでの飯塚は、イケメンな上に実力もあるのに、何故か存在感が薄い不思議なレスラーでした。

 

凱旋帰国と同時に、闘魂三銃士と馳健に喧嘩を売ったり、JJ-JACKSとして華やかなタッグチームを結成したり 転機となる部分は幾度もありましたかが、それでも飯塚がブレイクする事はなく長年陰の薄い中堅選手でした。

そんな飯塚に、最大の転機が訪れたのは2000年の事。

 

橋本真也&飯塚高史vs小川直也&村上和成の一戦。

これは前年に勃発した 橋本と小川の99.1.4事変と呼ばれるプロレス史に残る抗争の中で組まれたカードで、試合後の乱闘で数に勝る新日本勢が、小川のセコンドに付いていた村上をボコボコにして 病院送りにしてしまった事件がありました。

その時の新日本側の中心だったのが、飯塚と言う事で病院送りにされた村上は飯塚に復讐をする為に、このタッグマッチに発展した訳なのですが、万年中堅と言われていた飯塚が、東京ドームで主要カードに組み込まれる日が来るとは思いもしませんでした。

 

飯塚が小川に敗れて終わるのが、大方の予想だったかも知れませんが東京ドームでの主要カードに抜擢された飯塚は、この千載一遇のチャンスを逃しませんでした。

小川に攻められる橋本を ドロップキックで救出し 村上の払い腰を切り返してスリーパーホールドで絞めあげると一気にギブアップを奪い、東京ドームの大舞台で、まさかまさかの飯塚が主役に躍り出たのでした。

この大舞台で脚光を浴びた事で、飯塚のスリーパーホールドも同時に注目される事になり、4カ月後に行なわれた村上とのシングルマッチでも再びスリーパーホールドで村上を撃破した事で、”魔性のスリーパー”として更なる脚光を浴びて行く事になります。

 

万年中堅と言われていた飯塚ですが、強力な武器を手に入れた事で、この時期の飯塚は間違いなく新日本のトップに肉薄していました。

第三世代もスリーパーでことごとく絞め落としているし、蝶野正洋や藤波辰爾すらもシングルで撃破しています。

特に中西との対戦では、アルゼンチンバックブリーカーを極められながらも技を掛けられたまま 逆にスリーパーを極めてしまい、そのまま絞め落としてしまったのは圧巻でした。

 

IWGPヘビー級初挑戦

G1クライマックス ベスト4

ワールドタッグリーグ初優勝

必殺技としてのスリーパーホールドを身に付けた飯塚は、これまででは考えられない程の活躍と実績を残して キャリア史上最も輝いていた時期だったと思います。

 

結局2001年の怪我による長期欠場から、その勢いは消えてしまったのは残念でしたが、たった一つの必殺技が、万年中堅と言われていたレスラーを大きく格上げさせて、新日本の中心選手にまで押し上げたのは、これもまたプロレスならではのドラマでしょうね。

 

「腕があまり太くない分、首に食い込んでくる。ヘビが絡み付いてるみたいだ」

IWGP戦で闘った 佐々木健介をしてこう言わしめた飯塚のスリーパーは、怨念坊主になってからは、殆ど使われなくなってしまいましたが、飯塚の運命を大きく変えた 正しく必殺技でした。