新日本プロレス年間最大のビックイベントである1.4東京ドーム大会。
その東京ドーム大会も初開催の時は、すんなり事が運んだ訳では無く 会社にとっては社運をかけた大きな賭けでした。
これは、どんな物事でもそうですが、新しい事を始める時には反対意見や衝突も付き物であり 時には厳しい決断に迫られる場面もあるでしょう。
それが成功するかは、先見の明と時の運も必要になってきます。
東京ドームは読売ジャイアンツの専用球場として1988年に開場し 日本初となる屋根付き球場と言う事で、大きな話題となりましたが そこに目を付けたのが新日本プロレスの社長であり絶対無二のエースだったアントニオ猪木。
珍しい事が大好きで、話題を作る為なら何でもやる猪木らしいですが、猪木が「東京ドームでプロレスをやる」と言った時には、社内の人間は、皆が大反対だったそうです。
まぁそりゃあそうですね。
東京ドームで、プロレスをやったと言う実績がまだ無い時代
何より箱が大き過ぎるし 会場を借りるだけで当然の事ながら相当な額が動きます。これまで何度も思いつきで発言して来たり 会社の資金を個人事業に注ぎ込んできた猪木の意見に賛成する人間は、社内に一人も居ませんでした。
しかし当時は、猪木=新日本
猪木が決定が全ての時代だったので、周囲の反対を余所に東京ドーム大会は決定されてしまいます。
やるとなったら会社を守る為に、社員一丸となって東京ドーム大会を成功させる為に、奔走しますが
「プロレスをやるには広すぎる」
「無謀だ」とネガティブな意見は、どうしても後を絶ちませんでした。
猪木としても ドームでやる以上は、何の策も無い訳では無く メインで五輪柔道金メダリストのショータ・チョチョシビリとの異種格闘技戦。
ソ連のレスリングの強豪らのプロレスデビュー戦。
その中のリーダ格のサルマン・ハシミコフとビガロの一騎打ち
日本・アメリカ・ソ連の選手が出場する3国トーナメント
更に大会には、藤波辰巳が返上したIWGPヘビー級も賭けられ 海外遠征中だった橋本真也と蝶野正洋も大会に出場する為に、一時帰国を果たします。
そして劇画から飛び出してきた獣神ライガーのデビュー戦。
当時としては考えられる全ての手を打ち 周囲の不安の中 1989年4月24日 プロレス史上初となる東京ドーム大会『’89格闘衛星★闘強導夢』が開催されます。
メインで猪木が、異種格闘技戦で初の黒星と言うショッキングな展開も有りましたが、これも初のドーム大会でインパクトを与える効果としては、絶大でした。
橋本は、長州力から大金星をあげ準優勝
新日Jr.の象徴となるライガーのデビュー戦
現在進行形ではなく 新日本の未来を感じさせる大会になったのは、大きかったと思います。
蓋を開けてみれば53800人の観客を集め大会は大成功。
この後も様々なアクシデントに見舞われたり ドーム大会の撤退の危機を乗り越え1992年からは1.4に開催されるようになり 2007年からは大会名をレッスルキングダムとして現在に至っている。
あの時は「無謀だ」と逆風に晒されていましたが、今にして思えばドーム大会を強行した猪木の目は正しかった事になります。(結果的にですが)
日本マット界最大のビックイベントが、伝統的に行われるようになったのは、この時の猪木の決断のお陰だったのは間違いないので、近年は老害と呼ばれる事も多い猪木ですが、リング上での活躍は言うまでも無く やはりその功績は計り知れません。
これまで東京ドームで、どれだけの名勝負と名場面が演出されたかと言う事を考えると この時にドーム大会がスタートして本当に良かった。
この後 新日本のみならず他団体もドーム大会に乗り出していたし ドームツアーなど多くのプロレスファンが、東京ドームでのプロレスに夢を与えられてきた伝説の始まりは、1989年4月24日でした。