アントニオ猪木のアリキック

アントニオ猪木には、蹴りと言えば延髄斬り以外は余りイメージが沸かないと無いと思いますが、普通のプロレスの試合ならばともかく、異種格闘技戦ともなると蹴り、特にローキックは非常に有効な攻撃になってきます。

 

猪木は積極的に、他格闘技の選手と異種格闘技戦を行い プロレスの強さを世間に発信し続けてきましたが、1976年 猪木の異種格闘技ロードに最強にして最高の実力と知名度を誇る相手が現れます。

ボクシング世界ヘビー級チャンピオン

モハメド・アリです。

 

これは当時としては物凄い事で、現代で言うならマイク・タイソンやフロイド・メイウェザー・ジュニアをプロレスのリングに呼び込む形でしょうか。

それだけに、猪木としてはプロレスを広く世間にしらしめる為には、絶対に負けられない一戦なので、万全を期して試合に挑むのですが、マスコミ向けの猪木の公開練習を目の当たりにしたアリ陣営は、急なルール変更を要求してきたのです。

 

投げ技、間接技の禁止

スタンディング状態でのパンチ以外の打撃禁止

とプロレスラーの利点を全て封じにかかって来ているような、まるで猪木にボクシングをやれと言わんばかりの 一方的に猪木に不利なルール変更を試合のドタキャンを盾に迫ったのです。

 

これは無茶苦茶です。

猪木といえどもボクシングで、アリとやって万が一にも勝ち目がある筈がないし、寝技や投げ技を封じられては、プロレスラーに勝ち目などある筈がありません。

この試合に負けられないのは、アリ陣営も同じ事だったのでしょうが、これは幾らなんでも無茶苦茶。

社運を賭けたプロジェクトとして既に多くの関係各所と多額のお金が動いてしまっている以上、今さらキャンセルなど出来る弾もなく 猪木はこのルールを受けざるを得ませんでした。

 

こんな圧倒的に不利なルールでどう闘えば良いと言うのか? 普通ならそうなるのですが、猪木はこの大ピンチをチャンスに変えたのです。

その秘策とは、寝転がった状態からアリの下半身めがけての蹴り。

 

立った状態では蹴りが打てないなら、寝転んで打ってしまえば良い。単純な発想かも知れませんが、現実にこれを思いつき実践してしまう辺りは、やはり猪木はプロレスの天才。

ピンチをチャンスに変える為の逆転の発想こそが、猪木の真骨頂だったのです。

 

猪木は寝転がった体勢から何発もアリの足に蹴りを叩き込んでいきます。

アリとしては、完全に想定外の攻撃だったのか、下からの蹴りには対応も出来ず、かといって寝ている相手に効果的なパンチを打ち込む事もできず、フタを開けてみればアリが猪木の攻撃に苦悶の表情を浮かべる展開に。

 

何度も同じ蹴りを続けるだけの試合展開で、結果はフルタイムドロー。 闘った当人達からすれば死力を尽くした闘いなのに、世間は「世紀の大盆戦」と酷評。

しかし あのルールでは猪木には、ああするしか手立ては無かったのですから、あれを攻めるのは酷と言う物。 むしろ あのルールの中で、打開策を見つけフルタイムを闘い抜いた事が、凄い事だと思います。

 

確かに、見ている観客にとっては退屈な展開だったかも知れないが、アリの脚は試合後に紫色に腫れあがり、自力では歩けなくなるほど、深刻なダメージを負ってしまった事が、あの寝転びながらの蹴りの破壊力を物語っていました。

猪木は、モハメド・アリと言う歴史に残るボクサーに、確かな爪痕を残したと言えます。

この試合当時は、あの蹴りに特に技名も無かったのですが、アリ戦のインパクトが強すぎる為に後年になってから、こう呼ばれる様になりました。

 

アリキックと。