1997年4月12日は、柔道銀メダリストの小川直也が、プロレス転向を果たしデビュー戦を行った日です。
数ヵ月前に、あの小川がプロレス転向を果たすと言う事で、専門紙は勿論 スポーツ新聞やニュースでも話題となりましたが、プロレスラーとして小川が、スタート地点に選んだ舞台は、新日本プロレスでした。
アントニオ猪木に支持し 猪木の理想とするプロレスラーの英才教育を受けた小川のデビュー戦は、何と東京ドーム!
しかも相手は、時のIWGP・王者橋本真也。
プロレス界の歴史を遡ってみても ここまで破格のデビュー戦は、他に有りません。
当初 メインとして決まっていた橋本vsシャムロック戦が流れた事で、急遽 小川に白羽の矢が立ったと言う裏事情もある訳ですが、デビュー戦とは言え ドームのメインで、IWGP王者とシングルを行えるだけの知名度とインパクトが、小川には確かにありました。
だからこその大抜擢
しかしこの大抜擢は、小川が幾ら大物とは言え、いきなりメインでIWGP王者と闘わせる事には、新日本内部でも賛否両論あったかと思いますが、やはり それ相応のメリットがあったのでしょう。
1999年以降の小川からは、想像も出来ないかもしれませんが、当時の小川は同じ鳴り物入りの北尾光司とは違って 謙虚で素直な好青年だったのも上層部からの評価が高かった要因の一つかも知れません。
いざ試合が始まると この時点では、異種格闘技戦に慣れているのは橋本の方で、柔道には無いローキック中心に、小川を攻め込んでいきます。
猪木や佐山サトルの元で、トレーニングを積んできたと言っても リング上で物を言うのは経験。
小川の得意の投げが、決まる場面も何度か有りましたが、強烈な蹴りや手刀を持つ橋本が優勢に試合を進めていきます。
このまま 一気に橋本の勝利か?と思った矢先
一瞬の隙を付いて炸裂したSTO!!
そこから裸絞めに移行して まさかの小川勝利と言う衝撃の結末を迎えてしまいました。
これには驚かされたと言うか 本当に衝撃でした。
他競技の大物選手とは言え 今日プロレスデビューをした相手に、IWGP王者が敗れると言うのは、プロレスファン的には、かなり受け入れ難い物がありましたからね。
この後に橋本もリベンジに一度は成功するのですが、2年後に再び始まる暴走王と化した小川との一連の抗争は、この時がキッカケだったのかも知れません。
もし ここで小川と絡んでいなければ橋本のプロレスラー人生も全く違った物になっていたのかも・・・と思うと何ともやりきれません。
とは言っても小川の相手として この時点で誰が適任だったかと言えば やはり橋本だったと思うので、この二人は向かい合うべくして向かい合ったのでしょう。
ここまでは、小川が悪者みたいな感じのニュアンスになっているかも知れませんが、グレート・ムタや三沢光晴との対決には、夢を与えられたし 小川がプロレスラーとして総合格闘技に出撃した時は、プロレスの希望でもありました。
4月12日は、良くも悪くもプロレス界に大きな影響を与え 世間を巻き込んだ話題を幾つも提供したプロレスラー・小川直也が、誕生した日です。