〝いぶし銀〟木戸修さん死去

新日本プロレス創設期のメンバーで、長きに渡り新日本を支えた名レスラーで〝いぶし銀〟の異名を持っていた木戸修さんが、12月11日に死去していた事が明らかになった。

 

90年代からプロレスを観ていた自分にとっても木戸さんの死は、やはりショック。

決してトップレスラーという訳ではありませんでしたが、時には若手を育て 時には若手の壁となり、旗揚げから90年代までの新日本にはなくなてはならない選手でした。

 

実績的にはIWGPタッグが最高でしたが、WARとの対抗戦では大将の天龍源一郎を戦闘不能に追い込んだり、藤波辰爾や橋本真也や佐々木健介ら当時のトップレスラーからいきなり勝利を収めた事も何度もありました。

木戸絡みのエピソードは、結構面白い物もありましたね。

潔癖症のあまりに、ムタに毒霧をかけられた際には何故か?武藤敬司と口を聞かなくなったり、どんな激しい試合をしても髪の毛だけは絶対に崩れないとか・・・そんな逸話も大好きでした。

入場テーマ曲のブラックライダーもカッコ良かったんですけど、それに橋本真也が「キドキドキドキド・・・」と歌詞を付けたのも木戸本人は全く関与してないけど面白かったです。

ただ名前を連呼してるだけの歌詞ですけどね(笑)

 

何よりもキレのあるワキ固めと絶妙なタイミングで繰り出されるキドクラッチは、本当に芸術品でしたが、自身の名前をを冠した ○○クラッチと言う技名は、木戸が最初だったんじゃないでしょうか?

本人が考えたのかどうかは知りませんが、只のトーキックでも「キドゲリ」になっちゃうのも好きでした。

 

神様カール・ゴッチの門下生の中で、最も優等生だったと言われるのは、技術的な事は勿論でしょうが、誰よりも時間にはキッチリしていた几帳面な性格や 誰からも好かれていた人間的な部分もあったのでしょう。

デビュー前の中邑真輔を指導して、中邑のデビュー戦時にはセコンドについて中邑の初陣を見守った事もありました。 今や世界のスーパースターとなった中邑を育てただけでも プロレス界に与えた影響は大きかったと言えるでしょう。

 

73歳

まだまだ早かったと思いますが、木戸修は昭和から平成にかけて新日本を影から支えた功労者であり、本当に偉大な選手でした。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。