令和闘魂三銃士は必要か?

新日本プロレスは、6月30日に海野翔太、成田蓮、辻陽太の成長著しい新世代の3人を「令和闘魂三銃士」と命名する事を発表しました。

これは・・・

う~ん これは、またまた物議を醸し出しそうな案件ですね。

 

海野、成田、辻

この3人は、紛れもなく新日本の未来で、会社としても売り出していきたいというのは分かりますが、三銃士の名前を使ってまで一纏めにする必要があるのでしょうか?

目指す所は、3人とも新日本のトップであるというのには間違いありませんが、3人とも手を取り合い同じ場所を目指そうというタイプではありませんからね。

 

そもそもこの3人は、全員が別ユニットに所属しているので、特別な興行でもない限りはタッグを組む事もないでしょう。 令和闘魂三銃士は、ユニットではなく3人の事を指す呼称だとは思いますが、それならば尚更のこと この3人を一纏めにする必要がどこにあったのか?と疑問に思ってしまいます。

武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の元祖・闘魂三銃士が、新日本の歴史を大きく変えたのは周知の事実ですが、だからといって新日本は「三銃士」というブランドに拘りすぎでは?

 

現に20年程前に、若き日の棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼を「新・闘魂三銃士」として会社が、売り出すも 案の定、3人が3人とも「あいつらと一纏めにするな」と反目しあい新・闘魂三銃士はまともに機能しないまま終わってしまいました。

あの時の反省を活かして欲しかったんですけどね。

結局 その括りから外れた3人は、数年後に大きな成長を遂げて結果的に、新日本を現在の繁栄に導いた訳で、要は無理矢理に三銃士として纏めなくても 海野たちならば環境さえ整えば大成する事は可能だということ。

 

それとも お互いが反目をしあう事を見越しての「令和闘魂三銃士」命名であるのなら、ある意味大した物ですけどね。 三銃士と纏められることに対して反目しあい、そこに明確な対立構造が構築できれば、そこからストーリーは広げていけるし、同じ三銃士のメンバーという事で、みている側も当人達のライバル関係をイメージしやすいという側面も確かにありますから。

三銃士の無駄遣いの様な気もしますが。

まぁ この先どうなるかは、当人達の動きを見ないと想像も出来ませんけどね。

 

しかしグレート-O-カーンは別枠としても、三銃士にしちゃったから、海外遠征中の上村優也だけ、仲間外れになっちゃったのは、どうかと思うんだけど・・・それなら三銃士に拘らずに、四天王にしても良かった思うけど、それじゃ全日本みたいになっちゃうから駄目なんでしょうか。

 

いずれにせよ新日本は、どうにも黄金時代を築いた「闘魂三銃士」という幻影に、今尚とらわれ過ぎているような気がしてなりません。

闘魂三銃士という呪縛が、三人の成長の足枷に、ならなければ良いんですが・・・