90年代のプロレスは、団体乱立の時代でもありましたが、新日本プロレスと全日本プロレスのメジャー2強体制と言われながらも 全日本は鎖国の政策を敷いていた事もあり、外部と交わる事もほぼ無かった為に、当時プロレスを見ていた人ならば、誰もが一度は思い描いた事はあるでしょう。
新日本と全日本はどちらが強いのか?
三銃士と四天王はどちらが強いのか?
そして武藤敬司と三沢光晴は??
しかし時の流れと共に、時代は代わり状況も大きく変わった事で、垣根は存在しなくなり 何と2004年に、武藤敬司と三沢光晴の初遭遇が実現します。
武藤と三沢といえば、キャリアにズレこそあるとはいえ、年齢も同じ、身体能力とセンス抜群の天才肌のレスラーと共通点も多い事から若いうちから何かと比較されてきた二人です。
いつしか”永遠の恋人”とも表現されるようになった2人の初遭遇は、ノアが初進出となる東京ドーム大会。
これ以上ない舞台です。
三沢光晴、小川良成vs武藤敬司、太陽ケア
それぞれが信頼のおけるパートナーを従えての初対決は、三沢組のもつGHCタッグ王座をかけての一戦。
注目の対決は、試合序盤から早くも大きな見せ場がやって来ます。
コーナーに控える三沢に見せつけるかのように、武藤が小川に対して 三沢の代名詞であるエメラルドフロウジョン!
そして起き上がろうとする武藤に対して、コーナーから飛び込んできた三沢は、何とまさかの掟破り
シャイニングウィザードを本家・武藤に炸裂させたのです!
これには驚きました。
三沢がシャイニングウィザードを仕掛けるとは・・・永遠の恋人とは言っても どちらかと言えば、武藤の方が三沢の事を強く意識しているコメントをこれまで残しており、三沢は武藤に関して それ程は多く語っていなかったと思います。
もちろん全く意識してないという事は無かったと思いますが、旧全日本のカラーや三沢の性格上、他団体の事や選手に対してコメントを出す事は余り有りませんでしたから。
それが”掟破り”というプロレスに置ける最高級の挑発を仕掛けたのだから、やはり三沢も武藤の事を強く意識していたのですね。
三沢が相手の技を意識して使った事など、これまで数える程しか無かっただけに、武藤に対して仕掛けた事は、少し嬉しくもありました。
三銃士と四天王と呼ばれた男達が、こんなにも熱く闘っているのを見れただけで、90年代からプロレスを見ていた甲斐が有るというものです。
しかも三沢は、シャイニングウィザードを綺麗に決めてましたね。
本家の武藤でさえ、この頃には膝の上に飛び乗る動作はほぼカットしていたのに、三沢はきちんと武藤の膝の上に飛び乗ってから 膝蹴りを叩き込んでいたのだから素晴らしいです。
このやり方だとスピード感に欠ける部分はありますが、そんな事はどうでも良いでしょう。
あの三沢が、あの武藤にシャイニングウィザードを炸裂させた・・・こんな場面が見れただけで充分です。
まぁシャイニングウィザードを喰らう直前に、一旦起き上がりかけた武藤が、三沢が飛び込んでくるのを見て、片膝立ちに体勢を直したのは、ご愛敬でしょうか?
まぁ そんな所も含めて 三沢のシャイニングウィザードで終わったこの一連の攻防は、プロレス界に残る屈指の名場面だったと思います。