IWGPタッグ王座が誕生した日

1985年12月12日は、IWGPタッグ王座が誕生した日です。

 

かつて新日本プロレスでは、時期こそ違いますがNWA北米タッグ王座や、WWFインターナショナル・タッグ王座といったタッグ王座が存在しており、連日 新日本のタッグ戦線を盛り上げていましたが、諸事情によりいずれの王座も封印となり、新日本にはタッグ王座が一つもない事態となってしまいました。

 

その為に、新たに新日本プロレス独自の王座として、IWGPの名を冠した初のタイトルが設立される事となり、IWGPタッグ王座が生まれる事に。

意外にもIWGPヘビーよりも、タッグの方が先にタイトル化されているんですね。

 

更に1985年11月には、これまで毎年行われていた「MSGタッグリーグ戦」も業務提携解消の為に「MSG」の名称が使えなくなった事で、代わりに急遽「IWGPタッグリーグ戦」の開催が決定。

その優勝チームが、初代IWGPタッグ王者として認定される事になったのですが、このトラブル続きが、いかにも新日本ぽいっちゃあ新日本っぽいんですけどね。

こんなトラブルを楽しむのも 新日本の楽しみ方の一つかも知れませんが、ここでまたもや新たなトラブルが勃発してしまいます。

 

リーグ戦を見事1位で通過したブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組が、あろうことか決勝戦をボイコットして まさかの帰国。

こんな事 前代未聞です。

怪我や病気による欠場で、決勝戦に出場出来ないのなら いざ知らずボイコットで帰国って・・・

じゃあ何で来日したの?

何でリーグ戦に出場したの?

恐らくはシリーズ中に、何か揉め事でもあったんでしょうけど これは流石に、リーグ戦の意義すらも問われる展開。

 

このままでは肝心の決勝戦が組めないので、急遽 アントニオ猪木&坂口征二vs藤波辰己&木村健吾によるリーグ戦2位同士の間で、決勝戦が行われる事になったのですが「なんだかなぁ・・・」という感じですよね(汗)

 

まぁそんなトラブル続きだったにせよ、いざ試合が始まれば そんな事は関係なく、リングに上がったのは流石に一流レスラー達

特に、当時 猪木の牙城を崩さんとする新世代の藤波が躍動し、熱戦を展開します。

この試合は初代王者という事で、新日本の象徴であり 格的にも上回る猪木組勝利が大半の予想だったと思いますが、若き藤波がドラゴンスープレックスで、猪木から初のピンフォール勝ち!

藤波&木村が、栄ある初代王者に輝いたのです。

 

「カリスマ猪木が、直弟子にフォール負け」

結果的には藤波の猪木越えは、これが最初で最後となりましたが、初代王者決定戦でこの結末は、インパクト充分だし、今も続くIWGPタッグの歴史の幕開けは、若き日の飛龍が時代をこじ開けた所からスタートしたと考えれば感慨深い物もあります。

 

トラブル続きの中 新設されたIWGPタッグ

決定戦すらもトラブルに、見舞われたIWGPタッグ

しかし そんなトラブルも良くも悪くも新日本らしくもあり、蓋を開けてみればIWGPタッグの歴史は、新日本の未来を担う若武者による 新時代の幕開けから同時にスタートしました。

 

1985年12月12日は、IWGPタッグ王座が誕生した日です。