数々のドラゴン殺法を編み出し、多くのレスラー達に多大なる影響を与えて来た藤波辰爾ですが、その中で最もフィニッシュ率も高い技と言えば、やはりドラゴンスリーパーでしょう。
Jr.ヘビー級時代の藤波は、ドラゴンスープレックスを得意としていましたが、ヘビー級転向後に並み居る巨漢レスラーとも闘う為に、ドラゴンスリーパーを開発。
椎間板ヘルニアを患って長期欠場をしてからは、ブリッジが難しくなった事もあり、ドラゴンスープレックスは完全封印され、それからは各種丸め技やドラゴンスリーパーを主なフィニッシュとして使用する様になります。
ヘビー級としては、身体の大きい訳では無い藤波が、どんな大きい相手でも自身の身体にかかる負担も無く リスク0で仕掛けれる技をメインにしたのは、結果的に大きかったと思います。
2021年現在でも藤波が現役で居られるのは、リスクの少ない技を選んだ事が関係しているかも知れませんね。
ただ身体にかかる負担は無いリスク0の技とは言いましたが、ドラゴンスリーパーに捕えられた相手が逃れるための手段としては、ロープエスケープするか、或いは下から藤波の顔面を蹴り上げるかなんですよね。
これは、かなり嫌な抵抗のされ方です。
両手が塞がっている無防備な顔面を、下からガシガシ蹴り上げて来るんですよ? こんな返し方をされたんでは、ドラゴンスリーパーをするのも嫌になりそうですが、藤波は嫌にならなかったみたいですね(笑)
現在でもちゃんと使ってます。
しかしドラゴンスリーパーと言う技に関しては、個人的に余り好きな技では無かったので、1990年代にプロレスを観ていた頃は、藤波にはノれませんでした。
思いっきり長州派でした。
ライバルの長州力の力ラリアットに比べたら、ドラゴンスリーパーは地味に映ったし トップ選手同士での対決では そこまでギブアップ決着が多かった訳では無いので、新日本のトップ選手相手にシングルマッチで、ドラゴンスリーパーでギブアップを奪った事って意外と少ないんですよね。
1991年のIWGP戦での蝶野正洋
同じくIWGP戦で蝶野(足取り式でしたが)
1993年のG1で武藤敬司(胴絞め式でしたが)
1997年に引退直前の長州力
1999年のG1で小島聡
記憶にある限りでは、これ位だと思います。
藤波の勝ち試合からすれば、かなり少ない比率でしょうね。
それだけに必殺技としては、実績も少ないし 説得力に関しては余り感じられなかったので、丸め込みばかりの藤波も好きになれませんでした
今なら全然違う目線で観てるので、丸め込みでもOKだし、ドラゴンスリーパーでも全然OKなんですけどね!!