頚椎ヘルニアが原因で若くして引退してしまった力皇猛ですが、間違いなくNOAHの歴史に名を刻んだプロレスラーの一人でした。
2000年代前半のNOAHは、旧・全日本プロレスからの四天王プロレスの流れを引き継ぎ 垂直落下式の技や後頭部から叩きつける技 キツイ打撃が、他団体に比べても非常に多い時代でした。
最もそれらは、掛け手の高い技術と 受け手の受け身の巧さ
そして双方の信頼関係がなせるプロレススタイルなのですが、それが当時のNOAHにおいてのアイデンティーでもありました。
力王はデビューからまだ間もない2002年頃から、徐々に頭角を現してきましたが、豪快なパワーボムや強烈なラリアットに張り手等は使用していましたが、垂直落下式の技はほぼ使わずに、トップにまで登りつめた稀な選手でしょう。
敢えて言うなら 危険度の高かった技は、ベアハッグDDT位でしょうか? でもそれは斎藤彰俊を負傷させてしまってからは、直ぐに封印しています。
危険な技に頼らず 己の肉体から繰り出す純粋なパワーのみで闘った 力皇猛の最大の技は、何と言っても無双。
当時のNOAHのトップ選手の奥の手だった技は、エメラルドフロウジョンやバーニングハンマー、リストクラッチ式エクスプロイダー
ここいらとは、明らかに毛色が違います。
相手のサイドから右手を腰に掛けて、左手は股下を通しながら自分の右腕をクラッチする事で固定して、そのまま高々と抱えあげて背中から、全体重を乗せてマットに叩きつける変形のロックボトムの様な技。
力皇のオリジナル技で、名の由来は親友である武双山から貰った事。
当時からネット上を中心に、リストクラッチ式のロックボトムと誤認している人もチラホラ見かけましたが違います。 リストをクラッチしているのは、自分のリストなので プロレス技の区分上あれをリストクラッチ式とは言いません。
受け身を封じる為に、相手のリストを掴んでいる場合に使われる言葉なので、単なる変形のロックボトムが正解でしょう。
2004年には、GHC初挑戦も果たし 力皇は既にNOAHのトップ戦線に食い込んで来ていましたが、無双を開発してからの力皇は、更に迫力が増していたと思います。
元々力強い選手で、豪快な技や相撲で培った強烈な当たりがウリでしたが、そのトドメに繰り出す無双は、文句無しの大迫力の必殺技でした。
軽量級とは言え、小川良成に放った一撃が、史上最高に豪快でとんでもない一撃だったと思います。
この技で、小橋建太の絶対王者時代に終止符を打ち NOAH生え抜きとしては初となるGHCヘビー級王者に輝いたばかりか、防衛戦では何と三沢光晴をも退けています。
NOAHの誇る2大巨頭を無双で撃破したとあっては、力皇の活躍と強さ・・・そして無双の破壊力は、誰もが認めていたと思いますが、新の意味で力皇がエースになれなかったのは、残念ながら圧倒的に力皇本人に、”華”が無かったからでしょうか?
本人には何の非も無いだけに、何とも言えないんですが・・・。
しかし、頭から垂直に落とす危険な技が、流行している中でも時代に逆行するかのように、敢えて危険な技に走らずに、背中から落とす技をフィニッシュに選んだ力皇は、大いに評価したい所。
使い所も、大事に考えている様で、カウント2が旺盛していた当時でも決して乱発をする事は無く 無双を出せば、ほぼほぼ一撃で勝負を決めていたので、必殺技のイメージは、最後まで保たれていました。