かつて新日本プロレスで一大ムーブメントを起こした初代タイガーマスクが、一方的に契約解除を申し入れ新日本のリングを去ったのが、1983年8月のこと。
時は流れ その間に新日本では獣神サンダー・ライガーと言う新たなJr.ヘビー級のスーパースターが誕生していましたが、新日本は1992年に設立20周年記念大会の企画として当時ヤングライオンだった金本浩二に、虎のマスクを被せて一試合限定のタイガーマスク復活の試合を組みました。
ファン時代から初代タイガーマスクに憧れ 運動神経も抜群の金本だけあって多少のぎこちなさもあった物のタイガーマスクの動きをそれなりに再現した金本タイガーは、想像以上の高評価を受け これ以降のビックマッチでは、何度か仮のタイガーマスクとして限定出場する事もありました。
これをきっかけに、素顔の金本浩二でもタイガースープレックスを使用する様になりヤングライオンの中では、頭一つ飛び抜けた存在になっていきます。
タイガースープレックスを使うヤングライオンってのもなかなか凄いですけどね。
そして開催時期の問題もありましたが、金本はヤングライオン杯を経ずに海外遠征に旅立ったのは良いのですが、何と僅か4ヶ月での帰国命令がくだされます。
しかも今度は(仮)ではなく正式な3代目タイガーマスクとして 福岡ドームでのデビュー戦で相手は何とあのライガーです。
これは破格過ぎると言うか会社の期待が、絶大なのも有るんでしょうが、デビュー戦で負けたらカッコ付かないのに、つい最近までヤングライオンだった金本が、たった4ヶ月の遠征で、いきなりライガーに勝てるの!?と本気で思ってたましたよ。
それだけタイガーのブランドは、凄い物だったんでしょうね。
本人にしても物凄いプレッシャーだったと思います。
こうして1993年5月3日
3代目タイガーマスクが、デビューを果たしました。
初代が新日本を去ってから約10年後です
3代目タイガーの印象は、金本にマスクが似合うかはさておき 身長もあるしスマートな体型でカッコ良かったですね。
立ち姿だけなら歴代で、個人的に一番好きです。
ファイトスタイルは、初代のスタイルを踏襲しつつも ヤングライオン時代からの自分のスタイルも織り交ぜつつ 現時点では、まだまだ格上のライガーに必死に食らいついていってました。
当時は一撃必殺だった雪崩式フランケンシュタイナーをカウント2で返したのは驚きました。これが決まってフォールを返した選手は、今まで一人も居ませんでしたから。
最後はドラゴンスープレックスからのタイガースープレックスで、見事に勝利をもぎ取りデビュー戦を白星で飾る事に成功しています。
「タイガーなのに、ドラゴンスープレックス使うのかよ!!」と思いましたが、まぁ そこはどうでも良いです(笑)
ライガーが、華を持たせてくれた様な感じに見えたし 正直な所 まだライガーには及ばないな・・・とも感じましたが、当時の金本のキャリアを考えれば当たり前な事なんですよね。
「ヒールのタイガーマスクになる(ファイトスタイル的に)」と公言していたのには、当時は違和感も有りましたが、今思えば面白そうな試みだったと思うし ひたすら歴代をなぞってもしょうがないし その路線で成功して欲しかったとも思います。
ただ世間が求めるのは、ヒールスタイルのタイガーマスクでは無く あくまで正統派なヒーローとしてのタイガーマスクでした。
そこで金本は、本来の自分のやりたいスタイルと 世間が求めるタイガーマスクの間で、葛藤する事になり結果的に1994年の1月4日に、マスクを脱ぎ歴代で最も短いタイガーマスクになってしまうのですが、本来の自分とのギャップに苦しむ位なら それでよかったのでしょう。
1993年5月3日は、苦悩のタイガーマスク
虎伝説第三章が、始まった日でした。
金本浩二は大好きだったので、素顔の金本になって良かったと思う反面 ヒールのタイガーマスクももう少し見てみたかったです。