1990年の4月27日は、武藤敬司が海外遠征での修行を終えて華々しく日本に凱旋した事で、前年に帰国していた橋本真也や蝶野正洋と合わせて闘魂三銃士が、遂に日本マットに勢揃いした日です。
闘魂三銃士は、アントニオ猪木が将来有望な三人の若手を集め命名した 新日本の未来とも言える存在。
当時の新日本は、猪木は既にセミリタイア状態で、藤波は椎間板ヘルニアで長期欠場中
新生UWFが人気を博している事や SWSの選手引き抜きなど…新日本にとっては、マイナス面が目立っていた時期で、長州力がエースとして孤軍奮闘している物の一刻も早い新たなスターの誕生が、待ち望まれていました。
前年には、既に橋本や蝶野も帰国して 長州を脅かす存在として台頭はして来ていたのですが、4月27日にアメリカWCWでトップに上り詰めた武藤敬司が満を持して凱旋帰国した事で、ようやく足りなかったピースが揃い 新世代の担い手たちが遂に新日本に集結したのです。
武藤の凱旋試合は、蝶野と組んで橋本&マサ斉藤の持つIWGPタッグに挑戦と言う破格の待遇っぷりでしたが、これは武藤だけの試合と言うよりも勢揃いした闘魂三銃士のお披露目的な意味もあったかと思います。
この一試合で、ヘビー級離れした動きを見せる武藤の人気は爆発し 同時に闘魂三銃士の人気も爆発
以前の3人揃っての一時帰国でも成長ぶりを見せつけた物ですが、やはり本格凱旋した3人が揃うと圧巻の一言で、あっという間に新日本の看板選手となり 日本マットを代表する選手に成長していくのに、そう時間はかかりませんでした。
僕がプロレスを見始めたのもこの時期なので、やはり思い入れは特段強く 多少贔屓目で見てしまっている部分もあるかと思いますが、三銃士のファイトスタイルや性格を含めた個性は、かなり際立っていると思います。
豪快な蹴り技で激情的な橋本
地味ながらも確かな技術でドライな蝶野
華麗な技と華を併せ持つクールな武藤
三人が三人とも 本当に個性豊かで、人気が出て当然のユニットでした(正確にはユニットでも無いですが)
この三銃士が勢揃いした4月27日から 新日本プロレスは猛烈に勢いを増していき長州との世代抗争も本格的に始まっていくのですが、同期の3人だけあってライバル関係も物凄く、時代を掴む為に共闘する事はありつつも同時に3人の感情をぶつけ合う闘いも非常に、見応えがありました。
今でも90年代の新日本プロレスが、黄金時代だったと言う人は少なくないですが、90年代の新日本と言えば・・・
定期的な東京ドーム大会
複数エース制
そしてG1クライマックス
これらの体制やシリーズが、大当たりして一気に業界の盟主にまで登りつめたのですが、これは全て闘魂三銃士ありきの展開なので、90年代の黄金時代は間違いなく闘魂三銃士あっての物でした。
そういう意味で1990年の4月27日は、間違い無く3人の若者が、新日本プロレスの歴史を・・・ひいては日本のプロレス界を大きく動かした日でした。