これまで日本プロレス界には、幾つもの世間を巻き込む程の一大ブームを築き上げた時期がありました。
その中でも老若男女を問わず 日本国民をプロレスに釘付けにする程のインパクトを与えたのは、紛れも無く初代タイガーマスクでしょう。
1981年当時の新日本プロレスは、アントニオ猪木と言う絶対的スターが居ましたが、それとは別次元の新たなスターを作るべく梶原一騎原作の「タイガーマスク」を実際のプロレスに、登場させようと言う案が飛び出しました。
この時点では、所詮タイアップ企画だから…と軽く考えていた人が多く そもそも劇画のヒーローをリアルに演じるなど無理な話なので、それ程 期待はされていませんでした。
原作者が出した条件も「軽々とコーナーポストに飛び乗れる人」と言う事。
ここで白羽の矢が立ったのは、当時24歳の海外修行中の佐山聡でした。
若手の頃から その身体能力はずば抜けていましたが、プロレス界ではキャリアも浅く まだほぼ無名の選手
佐山は打撃の練習も積極的に行うなど 元々リアル志向の選手だったので、劇画のヒーローを演じる事については、余り乗り気では無かった様なのですが、猪木に心酔していた佐山は、猪木の顔を潰すまいとタイガーマスクとなる決心をします。
こうしてタイガーマスクのデビューは、決まったのですが、ここで新日本は有り得ないミスを犯してしまいます。
何と一番大事なマスクの発注を忘れてしまったのです。
マスクマンをデビューさせるプロジェクトを組んでおきながら 肝心要のマスクを忘れるとか、有り得ないにも程があるレベルの失態。
結局 佐山に手渡されたのは、スタッフ手作りの布製のマスクに、手書きで模様を書いただけの何ともお粗末な急造のマスク。
これには、対戦相手のダイナマイト・キットまでもが同情していた程で、嫌々タイガーになる事を了承したのに、変なマスクを被せられる事になった佐山には、心底同情してしまいます。
しかし いざ試合が始まれば、そこは天才
プロレスのリングでは、見た事も無いような軽やかなフットワークに、物凄いスピードの牽制の回し蹴り。
高速のタイガースピンや華麗なサマーソルトキックに、超高角度のジャーマンスープレックス。
常人と思えないスピードとムーヴで、最初はその姿をみて馬鹿にしていたファンもあっという間に魅了してしまい 正しく一夜にして猪木と並ぶスーパースターが、誕生してしまったのです。
あの当時にあの動きをやったのはインパクト大でしたが、やっている技だけ見ると現代のプロレスから見れば、ズバ抜けて凄い訳では無いのに、スピードとキレは現代でも充分にトップクラスだと思います。
それどころか初代の動きを再現できる選手は、未だに現れていない様に思います。
40年もの月日が経っているにも関わらず、今も色褪せないのは、単なる劇画のヒーローではなく佐山タイガーが、本物だったからでしょう。
後にマスクもちゃんとカッコいい物に改良され ダイナマイトキットを始めとするブラックタイガーや小林邦明などのライバルにも恵まれたのも 大きかったと思いますが、初代タイガーの登場が後年に大きな影響を与えたのは言う迄もなく 新日本系のレスラーは、ほぼ猪木かタイガーに憧れてプロレス界に入った口なので、それを考えると その功績は絶大ですよね。
武藤やライガーが、タイガーに憧れていたのは分かるけど あの橋本真也まで道場で、タイガーの動きを練習してたと言うのだから思わず笑ってしまいます。
いや 笑ってしまうくらい凄い事です。
1981年4月24日は、今もなおプロレス界に強く影響を与えている虎伝説の第一章が始まった日でした。