2021年のニュージャパンカップは、熱戦の連続の末に幕を閉じましたが、春の祭典も毎年行われ 16回年の歴史を持つ人気シリーズとなりました。
そのNJCの記念すべき第一回を覚えているでしょうか?
当時の新日本は暗黒期で、今では考えられない位に集客に苦労していたので、とにかくお客さんを集める為に、G1とは別の目玉となる大会を考えた結果 シングルトーナメントのニュージャパンカップの開催を決定。
今でこそ看板シリーズとして定着していますが当時は
「G1もあるのに同じ様な大会増やしてどうするの?」
「春の大会ってチャンピオンカーニバルのパクリじゃん」
などなど 否定的な意見が多かったのは事実です。
第一回は、人材不足のせいもあってJr.ヘビー級の選手も複数参加して 計16名の参加選手で開催されました。
この当時は、永田裕志や天山広吉 中西学ら第三世代が、新日本を牽引していた時代。中邑真輔がいきなりIWGPを奪取した事もありましたが、単発的な事もあり この時点では世代交代が進んだとは言えない状況ではありました。
その事もありNJCは、中邑を始めとする棚橋 吉江らの新世代と 第三世代との世代闘争にも注目が集まっていました。
当時の草間社長の「新世代の踏み台になってくれ」発言もあった次期ですからね。
結果的には、実績的に中邑に遅れを取っていた棚橋弘至が意地を見せ、記念すべき第一回NJC優勝
新世代が初めて新日本の頂点に立った日となりました。
新世代としては、中邑のIWGP奪取があった物の G1では一度も優勝した事が無かったので全選手で頂点を決める舞台で、新世代が頂点を掴んだ初めての日となります。
試合内容自体も悪くなかったと思いますが加えて
一回戦で永田裕志
2回戦で金本浩二
準決勝で天山広吉
決勝戦で中西学
・・・とNJCの全試合を第三世代と闘い勝ち進んだのです。
(永田戦は反則勝ちですが)
世代交代と言うのは、どのタイミングで達成されたのか微妙な所ですが、第三世代から新世代にバトンが渡ったのは、この時期では無いのかな?と個人的には思っています。
勿論 この後も第三世代が、新世代に勝つ事は何度もあったし IWGP王座に返り咲いた事も何度かありました。
でも棚橋ら新世代が、新日本中心に立って行ったのは、この時期でしょう。
そういう意味では、このNJC開催の意義も大きく 新日本の歴史の分岐点になった重要な大会だったとも言えます。
まぁ決勝戦のフィニッシュが、微妙な3カウントだったり 試合後にまだ棚橋と中西が殴り合って セコンドも入って来てグチャグチャになったりで、綺麗な終わり方では無かったですけどね(汗)
ある意味 この当時の新日本を良くあらわしていると言えます(結構悪い意味で)
でもNJCは、この頃は批判的な意見もあった中 継続的に続け 今では新日本にとって無くてはならない大会にまで成長しました。
去年のコロナ禍で、一度はNJCが中止になり 時期が遅れて大会開催が発表された時は、歓喜でしたもんね。
やはり継続は力なりと言う事でしょう。
今ではG1はリーグ戦 NJCはトーナメントと言う住み分けもしっかり出来てますし 本当にNJCが開催されて良かった
NJCが継続されて良かった・・・そう思います。
2005年4月24日は、第一回ニュージャパンカップで、棚橋弘至が初優勝を果たし新世代が、初めて新日本の頂点に立った日です。