日本のプロレスには、100Kg以上のヘビー級と 100Kg未満のJr.ヘビー級の2つの階級が存在します(全日本は105Kg以上がヘビー級)
今でこそJr.ヘビー級の選手が、ヘビー級王座に挑戦する事は、そう珍しい事ではありませんが一昔前の階級は今よりも明確に区別されていたので、Jr.ヘビー級がヘビー級王座に挑戦するなんて有り得ない事でした。
しかしその常識を破ったのが小川良成です。
全日本時代から そのテクニックには一目置かれてた物のイケメンながら 決して派手な選手では無かったので、それ程 注目されていた訳ではありませんでした。
小川にとって転機となったのは1998年
三沢光晴の新たなるパートナーとして大抜擢された事で、Jr.ヘビー級でありながら 四天王や強豪外国人の中に入って闘う機会が増えていく事になります。
ヘビー級に転向した訳でもなく Jr.ヘビー級の体重のまま ヘビー級との闘いを主戦場にしたと言うのがポイント。
体力的には圧倒的に、不利ではありますが卓越したテクニックを武器に、ヘビー級の選手とも互角に渡り合う奮闘を見せ 秋山準から何度も丸め込み勝利を収めた事もあります。
そして2000年代に入り NOAHに闘いの場を移した小川は、ここでも時のGHCヘビー級王者となった秋山から数回に渡りフォールを奪います。
秋山としても王者として ここまでやられてしまっては、タイトルマッチでリベンジするしか無く「五分以内で決着を付ける」と宣言。
戦前の予想としては、大方の人が秋山の防衛を予想したと思います。
Jr.ヘビー級が、ヘビー級王者になるなんて有り得ないし 前哨戦で勝ちまくっていたらタイトル戦では負けるのがお決まりで、何より あの秋山がシングルでまで小川に、不覚を取るとは思えませんでしたから。
しかし それらの常識を小川は覆してみせました。
しかも五分以内に、決着を付けたのは小川の方だったと言う結末。
トドメに、リストクラッチ式エクスプロイダーを狙った秋山を逆に、腕極め首固めで丸め込み 史上初となるJr.ヘビー級のヘビー級王者が誕生したのです。
これは間違いなく一つの事件でした。
これ以降 日本のプロレス界では、階級が少し曖昧になってしまった感はありますが、この時の小川良成の王座奪取劇は、間違いなくプロレス史に残る快挙だったと思います。
ここから秋山は、格下相手に丸め込みで負けるイメージが付いちゃったのは余計でしたが、王者となった小川は、この後 田上明と力皇猛に二度の防衛を果たしたのだから大したものです。
2002年4月7日は、Jr.ヘビー級の選手が、史上初のヘビー級の王者になった日でした。