2006年の10月9日は、天山広吉が最後に、IWGPヘビー級に挑戦した日な訳ですが、もうそんなに長期間に渡って挑戦すらしてないんだな・・・と思ってしまいます。
当時の王者は棚橋弘至でしたが、この当時の棚橋は、まだ発展途上中で、エースへの階段を駆け上がっている最中。
この天山戦は、棚橋の初戴冠時の初防衛戦でした。
この時代まで新日本を支えて来た天山としては、後輩への挑戦と言う形にどんな思いだったのでしょうか?
「弱い王者」と王者・棚橋を切り捨てた所に、天山のプライドが見えた様な気もしますが、この時代はまだまだ棚橋は、ファンの支持を得られておらず王者として挑んだG1でも予選敗退と言う散々な結果
天山としても満足な結果を残せていない若造を認める訳には、いかなかったのでしょうね。
その思いが「弱い王者」と言う言葉だったのだと思います。
しかし言われっぱなしで終わらないのが、負けず嫌いで頭の回転の早い棚橋らしい所で、天山としては最も痛い所を突いて逆襲に転じています。
「新日本の弱い歴史を作ったのはあなた」
これは、かなりキツい一言です。
凱旋以降あっという間に、トップグループに加わり
IWGPヘビー級4度戴冠
G1クライマックス3度優勝
これだけの輝かしい実績を持つ天山に対して そんな事を言い放つ棚橋の度胸は、大した物です。
確かにIWGPを4度も巻いている天山は凄いんですが、その王座の失い方が悪い意味で記憶に残っていると言うか、良くないイメージを植え付けているのは、確かなんですよね。
1.当時若手の中邑真輔にギブアップ負け
2.全日本の小島聡に、Wタイトル戦で脱水KO
3.フリーの佐々木健介に負け
4.フリーの藤田和之に負け
王者になった以上は、負けて王座を失うのはしょうが無い事ですが、初戴冠の初防衛でいきなり新人同然の中邑にベルトを渡したのは良くなかった・・・
それ以上に4回中3回が、外敵に敗れ王座を流出させてしまったのは、イメージ的に非常に宜しくなかったと思います。
特に全日本の至宝・三冠も賭けた小島とのWタイトル戦では、60分を闘い切れずに脱水症状を起こしてしまいKO負けを喫したのは、最も対外的に弱いと言うイメージを植え付けた要因でしょう。
そこを突かれては、天山は言い返せないでしょう。
この舌戦は、棚橋に軍配が上がりました
(タイトル戦も棚橋が勝ったのですが)
余り人の事をけなしたり 必要以上に相手を煽ったりしない印象の棚橋としては、こんな事を言うのは意外な気もしますが、当時の棚橋はまだ発展途上中でしたし 何よりまだ若かったですからね。
棚橋のこれまでの全てのコメントで、最もドぎついコメントだったと思います。