2015年 中邑真輔の最後のG1参戦となった時のセリフです。
中邑は公式戦を2戦終えて1勝1敗の星取り
ここからは、もう一つの黒星が、リーグ突破に大きく関わってくる状況
そんな中邑に、ある異変が起こる。
ホテルに戻り就寝していると 左肘に猛烈な痛みが襲います。
どんな応急処置を施しても痛みは、全く引かずトレーナーに連絡を取ると そのまま深夜の緊急搬送。
細菌感染による炎症が原因だと診断され 点滴と抗生剤物質の投与の治療がなされます。
本来ならば このままG1は全戦欠場となってもおかしくない状態だったのですが、今にして思えば中邑もこれが最後のG1だと決めていたから悔いは残したく無かったのかも知れません。
巡業に着いて行きながら 行く先々の病院で治療を続け回復を計ります。
もちろん そんな直ぐに完治する様な状態では無いので、公式戦はマイケル・エルガン戦のみ欠場=不戦敗とし 計3大会を欠場
次の公式戦からは、何と強行出場をしたのです。
2敗がリーグ戦突破のリミットだと分かっていたからこその無茶だったんでしょう。
普通はリーグ戦で欠場したら そのまま全戦欠場するのが普通なんですが、リーグ途中から復帰して来るのは、後にも先にも中邑だけだと思います。
復帰戦となった公式戦の石井智宏に、勝利した後に
「G1は辞めるも地獄、進むも地獄」
とポツリ
これは中邑の本音でもあり 世界一過酷なリーグ戦とも言われるG1を最も的確に、表現した言葉だと思います。
新日本の選手にとって G1で結果を残す為に一年間頑張って来た訳で、G1を棒にするなんて事は、一年間を棒に振る事に等しいからです。
辞める道を選ばずに、進んだとしても
只でさえ激しい猛暑の中での過酷な連戦
更に左肘の激痛に耐えながらの 強豪との試合なんですから観ている以上に、中邑は極限状態で、試合をしていたのだと思います。
そんな状況でも中邑は、戦い抜き
リーグ戦復帰後 怒涛の6連勝を果たし決勝戦にまで駒を進めます。
決勝戦で対峙するは、終生のライバル棚橋弘至。
敗れはした物の限界まで戦い抜いた試合後の中邑は、悔いが残らなかった様に感じました。
だからこその 試合後の
「生き抜いた」と言う言葉なんでしょう。
中邑と棚橋の最後のライバルストーリー
棚橋の8年振りの優勝
棚橋と中邑の試合後の握手
そして中邑真輔の生き様
様々な刺激と感動を与えてくれた2015年のG1でしたが、同時に中邑が最後と心に決めて命を賭けながら 駆け抜けて行った熱い熱いG1でした。