2000年代後半のプロレス界で、良くも悪くも世間的にも話題となったハッスル
芸能人をリングに上げて プロレスラーに勝たせるなどして業界の格をメチャクチャにする様な事を平気でやりまくっていたので、個人的にこの団体には全く好感が持てませんでした。
天龍源一郎が、HGに負けるわ
小川直也が、インリンに負けるわ
KENZOも和泉元彌に負けるわ
本当に、メチャクチャでした。
ハッスルポーズも受け入れ難かったし
新日本と絡んだ時も「ハッスルとだけは、やめてくれ!」と本気で思ってましたね。
そんなハッスルが、2005年頃
何と棚橋弘至に、移籍話を持ち掛けてたと言うのだから驚きです。
そこまで込み入った話はしてない段階だったので、移籍後の起用法は分からないそうですが、恐らく大学時代のプロレス同好会繋がりでHGやRGと絡ませようとしてたんでしょうね。
憧れの武藤に誘われても全日本に行かなかった棚橋が、ハッスルになびくとは思えませんが、そこでハッスルのオファーを蹴ってくれて良かった。
本当に良かった
ギャラの方も当時としては、破格の額だったと言います。
しかし棚橋がプロレスに求めるのは、お金じゃなくやり甲斐だと言う事で、棚橋が首を縦に降る事は、ありませんでした。
嫁さんに相談したら「行きなさい」と言われそうだから家族会議をしなかったのは、余談ですが、棚橋らしいエピソードですね。
ハッスルのオファーがあった時期が、新日本の契約更改と被っていたらしく どこからか情報をキャッチした社長になる前の菅林さんは、ずっと棚橋に張り付いてたそうです。
そりゃあ新日本からしたら 武藤や橋本らスター選手の抜けた今 将来有望な若手選手に、抜けられたら困りますからね
契約の際に、判子を忘れた棚橋に判子を押させる為に、家にまで付いてきたそうですから。
この時期の新日本は暗黒期真っ最中で、好条件を提示されていた棚橋が、ハッスルに移籍しても全くおかしくない状況でした。
それでも棚橋が、新日本に残った訳は
新日本を愛しているから
本当に棚橋弘至が、新日本愛に溢れてて良かったです。
もし棚橋が、ハッスルに移籍していたらハッスル崩壊後は、どんな道を歩んでいたのかは気になりますが、新日本と言う団体は、レインメーカーの出現を待つ事なく 無くなっていたかも知れません。