どんなレスラーでも必ずいつかは訪れる引退の時
それが完全燃焼しての引退ならばまだしも、志半ばに引退を決断せざるを得なかった場合は、本当に悲しいものです。
ノアの原田大輔が、2日に都内で記者会見を開き、スーツ姿で登場した原田は3月9日の東京・後楽園ホール大会で現役を引退すると発表。
原田は昨年8月に、団体が定期的に行っているMRI検査で頸部に異常が確認された為に、欠場が続いていましたが
「半年間、首の回復に向けて治療を続け、トレーナーの施術のもと、改善に取り組んできましたが、改善の兆しがなく、ドクターストップで引退を決断いたしました」と苦渋の決断をした事を明かした。
傷病名は「頸椎環軸椎亜脱臼(けいついかんじくついあだっきゅう)」で、本人は自覚症状は無いと言いますが、ノア専属トレーナーによると「このままプロレスを続けていく事は命に関わる」という事なので、現在36歳でレスラーとしてはまだまだ やれる年齢だけに、この決断は無念でしか無かったと思いますが、今後の長い人生を考えれば、これは致し方ない決断だったでしょう。
引退試合は。後楽園ホール大会で、医師の立ち会いのもと、小峠篤司と1分間のエキシビションマッチとして行われる。
本来なら試合をするのは許されない状態らしいのですが、医師の立ち会いのもと一分間ならば・・・とOKが出たそうです。
そこまでの状態でありながらも、きちんと引退試合を行うのは、レスラーとしてケジメを付けたいから。
そして小峠篤司とケジメをつけたかったからなのでしょう。
原田が大阪プロレスで、プロデビューをした時の相手が小峠
その小峠が、大阪を退団してノア移籍をした時も後を追う様に、原田もノアに移籍をしていますが、ノアデビューの相手となったのも小峠。
原田と小峠は”桃の青春タッグ”として何度もタッグを組みながら、時には裏切られる事もありましたが、やはり原田にとって小峠は最大のライバルであり、最高のパートナーだったと思います。
そしてレスラー人生の最後に、小峠を選んだ事は、当然と言えば当然
2人の関係性を知る者ならば、誰もがそう思うでしょうね。
「仮に引退が10年後だったとしても相手には小峠篤司を選びます」
原田のこの言葉には、一切のリップサービスもなく、紛れもない本音でしょう。
たった1分の引退試合ですが、17年間の全ての想いを込めて、原田大輔の最後のプロレスを最高の1分として見せてもらいたいです。
原田は最後に「プロレスラーとしては生きていけないですが、一人の人間として生きていかないといけないので引退を受け入れました。17年間、本当にありがとうございました」と感謝の言葉で締め括った。
片山ジャーマンとニーアッパー
大好きでした!