2001年から数年の間は、スキンヘッドになった武藤敬司のシャイニング旋風が巻き起こり、シャイニングウィザードを使う選手・・・もしくは片膝に飛び乗るシャイニング式を使う選手が急増した時代でした。
良い技が世に出て来たら、同系の技を使ったり アレンジを加えて使うのは、プロレスでは良く有る事ですが、武藤と同じ闘魂三銃士の盟友である蝶野正洋までもが、シャイニング式に手を出すとは、初公開当時は微塵も思いもしませんでした。
2001年 武藤は新日本所属で有りながら 全日本の3冠ヘビー級王者となり、何と日本武道館で蝶野正洋を3度目の防衛戦に迎えると言う 前代未聞の新日本の選手同士による 全日本興業の武道館での三冠戦が実現したのです。
全日本のリングで広げられる闘魂三銃士同士の対決をするに当たって、2人はどんな思いだったのでしょうか?
序盤から飛び出したのは、何と武藤の片膝に飛び乗ってのケンカキック!!
誰もが予想していなかった まさかのシャイニング式!
シャイニングケンカキックでした!
まさか この時は敵対関係にあったとは言え、闘魂三銃士の同志である蝶野とは近い位置に居た筈の武藤のシャインング式を使うとは、誰が想像したでしょうか?
当然タイトル戦と言う事で、武藤に対する心理的な揺さぶりもあったと思いますが、その後 正調式のケンカキックよりも シャイニングケンカキックをメインで使うようになった事を考えると、本気でシャイニング式が気にいったんでしょうね。
しかしこの技は見方によっては、シャイニングのドロップキックに見えなくも無いが、蝶野はドロップキックなんて使わないので、蝶野が使う以上はケンカキックとして見ください。
自身の年齢やコンディションによる衰えから、ケンカキックに説得力が失われてきた為に、新たなムーブを編み出したのでは無いか?とも囁かれていますが、真相の程は不明です。
ただこれ以降は、ケンカキックは徐々に使われなくなっていき 最もフィニッシュに多用されていたのが、シャイニングケンカキックである事は事実です。
蝶野がシャイニングケンカキックを公開した数カ月後には、武藤は全日本に完全移籍してしまいましたが、もしあの時に武藤が新日本に残っていれば・・・蝶野はシャイニングケンカキックを使い続けたんでしょうか?
ケンカキックのアレンジを加えているとは言っても 当時のトップクラス2人の必殺技としては、ほぼ丸被りなので流石に、武藤を相手にした時の挑発行為以上の使用は無かった様な気がします。
そうなった時の蝶野は、どうなっていたんでしょうか。
2000年代中頃からは、ケンカキックもほぼ使わなくなっていたし、STFやバタフライロックも以前ほど頻繁にフィニッシュにはならなくなってきていました。
2005年のG1制覇で、最強外敵・藤田和之を撃破した時の技がシャイニングケンカキックだった事を考えても もし蝶野にシャイニングケンカキックが無かったとしたら・・・
蝶野正洋の歴史は、変わっていたかも知れません。