IWGPヘビーが初めて他団体に流出した日

プロレス団体には、ほぼ全ての団体に看板ともいえる最高王座が存在して、全選手がそのタイトルを獲得する為に、日々リングに上がっている訳ですが、その王座が団体外に流出してしまうというのは、それこそ団体にとっては一大事。

国内最大手の新日本プロレスと言えども例外ではなく、団体最高王座のIWGPヘビー級(現.IWGP世界ヘビー級)も長い歴史の中では、何度も流出の危機にさらされて来た事がありました。

 

IWGPは外敵との闘いの歴史でもありましたが、そんな歴史の始まりとなったのが

1996年1月4日

この日の東京ドームのメインイベントは王者・武藤敬司に高田延彦が挑む一戦。

この試合は、前年に行われた新日本vsUインター対抗戦の頂上決戦で敗れた高田のリターンマッチとなる一戦。

 

あの敗戦で”最強の称号”も”団体の威信”も全て失った高田は、正に背水の陣で挑んだ一戦でした。

高田が武藤へのリベンジに向けて準備したのは、前回の敗戦の要因となったドラゴンスクリューへの対策

 

近距離になるドラゴンスクリューは逆にいえば、高田の得意とする打撃の間合いでも有るので、徹底して膝や掌低でディフェンスした事が試合の流れを決定づけたのだと思います。

もちろん武藤とて百戦錬磨なので終盤には、隙を付いてドラゴンスクリューも足4の字固めも極めたし、前回は自爆に終わったムーンサルトプレスまで炸裂させています。

それでも連敗は絶対に許されない高田の執念が勝利を呼び込んだのか、最後はハイキックからの腕ひしぎ逆十字固めで遂にリベンジ達成。

 

同時に新王者となった高田は、この時点で初となるIWGP全階級制覇

そして長いIWGPヘビー級の歴史の中で、遂に他団体に王座が流出する事になってしまいました。

 

これまでJr.ヘビー級が流出した事はありましたが、ヘビー級となると本当に初めての事だったので、新日本ファンとしてはなかなかショックでした。

加えて大の武藤ファンだったので、リング上で起こった出来事の中では、当時としては最も衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 

当時 純粋だった自分は悔しすぎて、プロレスゲームで武藤を操作して高田をボコボコにしていました(笑)

 

まぁ そんな事も含めて、越中詩郎や橋本真也との防衛戦も 好勝負だったし、話題性やインパクトも含めて これが有ったからこそIWGPの価値が上がった事にも繋がっているので、今となってはこれで良かったと思います。

何より「IWGPが初の流出」という緊急事態感は、当時を知っている人にしか味わえない出来事だったので、本当に良い時代を経験したと思います。

 

1996年1月4日は、IWGPヘビー級王座が初めて他団体に流出した日でした。