2022年10月1日は、日本のプロレス界における最大のレジェンドの一人 アントニオ猪木が逝去した日でした。
アントニオ猪木と言えば、ブラジルから13歳にして力道山に日本に連れて来られ、厳しいシゴキにも負けずプロレスラーへの道を切り開き、力道山の死後は、持ち前のガッツで、同期のジャイアント馬場と供に、日本マットを支える存在にまで成長。
その後 日本プロレスから離れた後は、新日本プロレスを設立して 数々の伝説を残して来たプロレス界のレジェンド中のレジェンドとも言うべき存在でした。
ストロング小林に仕掛けた首で支えるジャーマン
タイガー・ジェット・シンの腕折り
モハメド・アリとの世紀の一戦
周囲の予想を覆して耐えに耐えて掴み取った橋木&蝶野からの勝利。そして初の1.2.3.ダー
全盛期の馳浩を相手に見せた 晩年の底力
ベイダーとの限界を越えた死闘
そして引退試合での最後の勇姿
アントニオ猪木の名場面・・・伝説は数え出したらキリがありません。
何十年も前の出来事なのに、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
全盛期の猪木は、誰よりも”怒り”を表現するのが上手く、晩年の猪木はそこに加えて”哀愁”を漂わせていたので、何とも言えぬ凄みと色気を併せ持ったレスラーでした。
だからこそ世間一般に、アントニオ猪木という名前も浸透して、プロレスを知らない人でも猪木は知ってる・・・というレベルで、世間への影響を与える事が出来たのでしょう。
勿論 当時の時代背景もありますが、ここまでの存在感と影響力は、現代のレスラーには、ちょっと真似できないでしょうね。
1998年に、猪木がリングを降りた時は残念でしたが、例えリングを降りても猪木は猪木。
どこまで行っても猪木流で、プロレス界に大きな話題と影響を与え続けてきました。
さすがに小川直也をけしかけて 橋本真也を潰した時は「オイオイ」と思いましたが、当の橋本には何のわだかまりも無かった様なので、もはや過去の事になったのでしょうね。
近年になってからは体調を崩し、入退院を繰り返していると報道された猪木を見た時には、かつて”燃える闘魂”と呼ばれた猪木とは思えない位に、やせ細り しんどそうにしている姿には、少なからずショックを受けました。
でもそれでも あの猪木なら…
猪木なら きっと病魔にも打ち勝ってくれる!
そう思っていました。
しかし無情にも 2022年10月1日
アントニオ猪木は還らぬ人となってしまいました。
プロレス界のみならず世間に絶大な影響を与え続けた お茶の間のスーパースターも自然の摂理には勝てなかったという厳しい現実を突きつけられた気分でしたが、現役時代の猪木には、間違いなく多くの人間が希望を与えて貰いました。
出来ることならば、猪木には病魔との最後の戦いにも打ち勝って欲しかったですが、あの頃の猪木を知っている人ならば、猪木の数々の闘いの歴史をきっと忘れる事は無いでしょう。
猪木が居なければ、今のプロレスも今の格闘技も無かった事を考えると つくづく偉大な人を亡くしました。
せめて胸の中に、燃える闘魂アントニオ猪木の勇姿を焼き付けておこうと思います。
猪木の死は、プロレス界の一つの歴史の終わりですが、願わくばアントニオ猪木の様な・・・いや アントニオ猪木を越えるプロレスラーの出現を願うばかりです。
まぁ仮に、そんなレスラーが出てきたとしても猪木は、認めないかも知れないですけどね。
2022年10月1日は、燃える闘魂アントニオ猪木が、燃え尽きた日でした。