1995年 東京ドーム大会
新日本vsUインター 伝説の対抗戦
その中で一番の番狂わせだったと言われてるのが、佐々木健介vs垣原賢人です。
当時の健介は闘魂三銃士には、まだ及ばないレベルだったとは言え バリバリの新日本のトップクラス。
IWGPタッグ
G1クライマックス準優勝
と言う実績もありました。
一方の垣原は、期待のホープだったとは言えキャリア5年で、まだ23歳の若手
下馬評では、健介が圧倒的に有利でした。
しかし個人的には、当時のこの下馬評は疑問で、「健介もしかしたら負けるんじゃないか?」とは思っていました。
と言うのも健介は、この年のG1で初めて橋本真也に勝った位で、武藤 蝶野 長州 藤波 ノートンと他のトップレスラーには、まだ一度も勝った事が無いのに対して 垣原はゲーリー・オブライトと言う強豪外国人に、膝十字固めで一本勝ちしてましたからね。
格で言うなら間違いなく健介が上でしょうが、勢いや状況を考えると「垣原が有利じゃないかな?」とは何となく思ってました。
いざ試合の時を迎えると
健介の入場を観て「アカン健介負けた」と感じました。
普段はいつも気合い充分の健介が、入場の時点で一目で分かる位に、まるで覇気がありません。
やる気が無いと言うか、明らかにいつもとは違ってました。
対する垣原は、軽快な動きに気合いも充分。
本当に「健介やられるんじゃないか?」と言う不安を感じた中 実際に試合が始まると終始パワーと体格で圧倒するも 何故か余裕を見せて決めにかからない健介。
その一瞬の隙を付かれて逆転の膝十字固め!
健介ギブアップ!
大会前には、ギブアップはしないし ロープが目の前にあってもブレイクもしないとまで言ってた男が、格下相手にギブアップ敗けを喫してしまいました。
この勝利により 垣原はドーム以降の高田と田村潔司が不在のUインターを支える存在になっていきます。
そして敗れた健介は、試合後に仕切りに
「ポカした!」を連発
ハッキリ言って ポカでも何でもなく妥当な結果だったとは思いますが、翌年にはしっかりと垣原に完勝と言う形で、リベンジに成功しています。
しかし この「ポカした」と言うセリフが、某サイトを中心に「正直スマンカッタ」と供に、悪い意味での健介を代表するコメントになります。
健介が、プロレス界に残した不名誉な迷言です。