1995年 新日本とUインターの伝説の対抗戦は、色々語る事も多いですが、その中で注目していた一つとして 佐野直喜がどう出るか?
ここに刮目していた人は、多いでしょう。
佐野と言えば、元々は新日本出身
ライガーとは、ほぼ同期でライバルとして
現在のJr.ヘビー級の原点とも言える激しい戦いを何度も繰り返してきた間柄です。
佐野が1990年に新日本を退団して SWSに移籍してからは、関係も一旦途絶えたのですが、SWS崩壊後 Uインターに入団して 運命の巡り合わせか 新日本とUインターの対抗戦が勃発。
全面対抗戦の東京ドーム大会で
両者が五年ぶりの一騎討ちをする事になりました。
佐野は新日本育ちと言っても この時点でUインター所属なので、当然ファイトスタイルもキックと間接技主体のUWFスタイルに変貌を遂げており そんな佐野が、今ライガーと戦ったらどうなるのか?
この試合の焦点は、そこだったと思います。
試合開始こそ ライガーが佐野に対して強引に場外に落としたり プランチャやコブラツイスト、卍固めなど U系が絶対に受けない様なプロレス技を次から次と仕掛けていきます。
しかし佐野は必死の抵抗を見せ 意地でもライガーの技を受けようとしません。途中でライガーが場外に転落すると佐野が、まさかのロープワーク
ライガーに向かって走っていくと ロープの間をすり抜けて何とトペ・スイシーダ!
衝撃でした。
まさかUインターの佐野が、トペ・スイシーダをするとは・・・
しかも新日本時代とは、何ら変わらぬ見事な一撃。
確かにあの頃から 得意にはしていた技でしたが、この対抗戦には純粋なプロレスとUWFのイデオロギー抗争の要素も少なからずあった訳で、この場外ダイブには驚かされました。
これには、技を受けたライガーも面食らった様で、結局このままタイガースープレックスで敗れてしまいます。
今大会唯一のフォール勝ちが、Uインターサイドの佐野だけと言うのも驚きでしたが、試合に敗れたライガーは、意外にもサバサバした様子。
かねてから佐野に、プロレスに戻って来いとラブコールを送っていたのですが、佐野はそれに答える事は、ありませんでした。
そんな やりとりが何度かあった後の
U系では絶対に有り得ない佐野のトペ・スイシーダですから ライガーも
「試合には負けたけど佐野直喜の人生には勝った」と発言したんでしょうね。
しかし佐野からすればプロレスに回帰した訳ではなく
「余りにもしつこいから ちょっと付き合ってやっただけ」とつれない返事。
現に、トペ・スイシーダの後のライガーが仕掛けた ロメロ・スペシャルもダイビングヘッドバッドもスカしており ライガーのプロレスには、付き合おうとはしてませんでした。
結局 ライガーは試合にも負け
佐野直喜の人生にも勝てなかったと言う事でしょうか
まぁ そもそも人生に勝ちも負けも無いと思いますが、この5年後に佐野はJr.ヘビー級としてJ-CUPに出場してるし さらに数年後にはNOAH入団
そしてライガーの引退試合には、ガッツリ絡んでます。
人生ってどうなるか、分からないもんですね