2001年4月15日は、NOAHにおいて地球規模の崇高なる王座GHCヘビー級王座が誕生した日です。
前年の2000年に、全日本プロレスから衝撃の退団をした三沢光晴が、新たに旗揚げしたのがNOAH。
この2000年代初頭は、プロレス界全体を見ても色々な事があり、日本マット界の転換期とも言える時期でしたが、全日本から三沢を慕って付いて来てくれた仲間と供に、新しい時代のプロレスを打ち立て、全日本時代と変わらぬ激しい戦いを見せつつも、新しい時代にあった演出を見せたり、ストーリーラインの強化、ファイトスタイルの幅を広げて見たりと、正に2000年代の新時代のプロレスを作り上げる為に、選手達が一丸となって箱舟に乗り込み、大航海を始めた時期でした。
旗揚げと同時に付いていたテレビ中継
三沢や小橋建太、秋山準を始めとした人気選手の存在
ZERO-ONEら協力団体の確保
旗揚げ間もない団体にしては、有り得ない位に全てが揃っていたNOAHですが、足りない物が一つだけありました。
それは恐らく ほとんどのファンが思っていた事だと思います。
それがシングル王座の存在。
リング上の闘いに関しては、全日本時代からの闘いを更にレベルアップさせた素晴らしい試合を連発していましたが、やはりファンとしては、かつて三冠ヘビー級を巡り激闘を繰り広げていたあの時の様な興奮を味わいたい物。
もちろん チャンピオンベルトの存在が全てでは有りませんが、タイトルマッチで闘う三沢や小橋をまた観たいと思っていたファンは、多かったと思います。
そんな中で、旗揚げから約半年を経て遂に待望のシングルヘビー級王座が新設される事となりました。
グローバル・オナード・クラウン(Global Honored Crown)
通称 GHCヘビー級王座
「地球規模の崇高なる王座」と何とも大きすぎる理念を掲げての新王座設立となりましたが、三沢や小橋がこれまでしてきた闘いは、少なくとも日本プロレス界においては、最高峰と呼ばれる試合を何度もしてきたので、彼らが作り上げる王座には、それだけの理念を掲げるだけの説得力、もしくは可能性が充分に伴っていたと思います。
歴史に残る初代王者を決めるべく 3月からトーナメントが開催。
主力の小橋は、怪我による長期欠場で残念ながらトーナメント不参加となりましたが、それでも参加した選手たちはこれぞNOAHと言う闘いをみせてくれました。
そして決勝に駒を進めたのは、三沢光晴と高山善廣。
三沢に関しては、準決勝で秋山と激突した物の初代王者決定戦と言う事で、三沢が上がってくるのは想定内。
しかし高山は、当時は新世代の一人でシングルの実績もまだ無かった頃なので、この決勝進出は大躍進と言えました。
それが正に新時代を迎えるNOAHに相応しい顔合わせと言えますが、試合はとにかく激しい試合でした。
三沢のキツいエルボーや、高山の膝蹴りがこれでもかと言う位に飛び交い、エベレストジャーマンを連発で喰らいながらも最後は三沢のエメラルドフロウジョンで、新世代をねじ伏せNOAHの象徴として 三沢が初代王者に輝きました。
凄い試合でした。
まるで これからのGHCで繰り広げられるであろう闘いを暗示しているかの様な激闘で、実際にGHCは激闘の連続となっていきます。
日本マット界に輝く IWGPヘビー級、三冠ヘビー級に続く 三本目のプロレスメジャータイトル GHCの歴史はこの時スタートしました。
2001年4月15日は、地球規模の崇高なる王座GHCヘビー級王座が誕生した日です。