秋山準のフロントネックロック

2000年当時 今ほど ポピュラーな技ではありませんでしたが、フロントネックロックと言う技は、有名選手にも何度か使用された事のある既に知られた技でした。

しかし全日本プロレスから独立した 三沢光晴が立ち上げたNOAHの旗揚げ戦で、一気にフロントネックと言う技の価値観が、変わる事になります。

 

三沢光晴、田上明 vs 小橋建太、秋山準

旗揚げ戦のメインは、当時のトップ四人による頂上対決の三本勝負。

先発を買って出たのは、三沢と秋山

ゴングと同時に、いきなり勝負に出た秋山は、怒涛の畳み掛けを見せ DDTからのフロントネックロックで、あっという間に三沢を絞め落とし まさかの秒殺勝利を飾ったのです。

 

その間わずか2分00秒

 

とんでもないインパクトでした。

 

これは、誰もが驚いた結末だったと思います。

旧全日本から続く流れとして90年代後半からは、絞め技や間接技のフィニッシュは数える程しか無かったし 何よりあの三沢が絞め落とされると言う事態を誰も想像した事が、無かったからです。

 

これまでのフロントネッロックは、向かい合わせのスタンド状態で極めるのが通常でしたが、秋山がここで繰り出したのは、グラウンドに持ち込み両足で胴絞めを加えて 更に脱出を困難にした物。

 

加えてDDTからスムーズに移行する流れなので、一見すると地味なフロントネックロックを選び そしてプロレスらしい連携を編み出したのは、さすが秋山と言う感じですね。

 

翌日には、同じ技で小橋をも絞め落とし

一気に秋山の新必殺技として認知されていきました。

 

当時から既にプロレス界には、格闘技の波が押し寄せてきており フロントネックロックは、どちらかと言えば格闘技寄りの技。

 

これまで純粋なプロレスを貫いてきた全日系らしからぬ技ではありますが、NOAHと言う新団体の立ち上げに合わせて 秋山がこの技を使ってきた事で、秋山が新たな旗手となっての新時代の到来を予感させました。

 

新時代の予感はしてたんですが、コンディションやエースになるのを望まない性格のお陰で、秋山は本当のNOAHのトップになる事無く 2012年にNOAHを退団してしまいました。

 

まさか予感だけで終わるとは、夢にも思いませんでした。