今や国内外問わず 多くの選手に愛用されるPKは、打撃系選手の当たり前の持ち技となっています。
PKの元祖は柴田勝頼で、柴田を象徴する代名詞的な技ですが、最初にPKと言う技名を聞いた時は「なんじゃそれ!!」と言うのが正直な感想でした。
サッカーかよ!
と思いつつも略称がPKなだけで、正式名称は何か違うカッコいい名前があるんだろうな……と思っていたら 正式名称もペナルティキックでした。
サッカーかよ!!
まぁ名前に関しては、最初は違和感もありましたが、今ではすっかり慣れてしまってPKと言う名前以外は、あり得ない位に定着してしまいました。
使い続けるって大事な事ですね。
PKの基本的な形は、スリーパーホールドで絞めあげ相手を脱力させて腰を落とさせてから、ロープに走り 相手の胸板目掛けてのサッカーボールキック。
当初は、この一連の流れでPKと呼ばれ、スリーパーから入らないバージョンはFKと呼ばれ ハッキリと区別化されていたのに、いつの間にかその定義も曖昧になってしまい、胸板へのサッカーボールキック自体をPKと呼ぶように変わっていました。
今でこそ柴田の必殺技として、PKでのフィニッシュにも慣れましたが、柴田がPKをフィニッシュに使い出した時は、その名称と供に物凄い違和感だったのを今でも覚えています。
サッカーボールキックは、もっと昔から他の選手も良く使っていましたが、基本的に背中に打つのが普通で、胸板に打つのがPK・・・と打つ場所の違いこそあれど、やはりサッカーボールキックと言うのは、繋ぎ技のイメージがあったので、これでフィニッシュに・・・と言うのはどうしても違和感は拭えませんでした。
胸板を走りながら思い切り蹴飛ばすなんて 素人にも痛みの伝わる かなり強烈な技なんですけどね。
しかし2004年には、蝶野正洋との初対決をPKで制したり 永田裕志や中西学ら当時の新日本のトップ勢からもPKでフォールを奪う事で、必殺技としての価値を高めていきます。
しかし、その後 柴田は新日本を退団。
ビックマウスラウド等を経て、本格的に総合格闘技に進出をして 数年間プロレスから離れる事になるのですが、2012年に柴田は再び新日本に闘いの場を求める事になります。
この時 柴田が本格的にプロレス復帰をするに当たって 総合を経験して来た今 何をフィニッシュにするのか?と言う点にも注目が集まりました。
外の世界に飛び出て 新日本のままでは経験できない事をやってきた柴田が、改めて必殺技として選んだのは・・・
PKでした。
これで良かったと思います。
他の技でフィニッシュする事はあったとしても柴田の必殺技は、やはりPK以外は有り得ません。
柴田が、この時まだPKに拘っていた事に、少しホッとしました。
最初の頃は「サッカーかよ!」と少し微妙だと思っていた技が、いつの間にか”柴田=PK”になっていたと言う事ですね。