2001年に武藤敬司が、WCWから凱旋してから
頻繁に、口にしていた言葉。
プロレスLOVE
言葉の意味は、文字通りプロレスを愛していると言う事ですが、当時は格闘技が一大ブームを起こしていた頃。
小川や藤田、村上、安田などの格闘技寄りのレスラー
コールマンやグッドリッジなど格闘家の参戦
こぞって格闘技に参戦しては敗れるレスラー
オープン・フィンガー・グローブを付けてパンチを打つレスラー
格闘技人気に押され プロレス人気の低迷に歯止めが効かず 格闘技的な技をしたり試合をしたり プロレスの存在意義その物が、問われていた正しくプロレス冬の時代でした。
そんな中にあって誰よりもプロレスに誇りを持ち
誰よりもプロレスを愛していた武藤が叫んだ言葉が
「プロレスLOVE」
プロレスを職業に選んだ以上 レスラーなら
「誰でもプロレスLOVEだろう」と言う声もありましたが、多くのレスラーは、時代に流され格闘技に走って行きました。
でも武藤は、プロレスこそが一番と信じて疑わず 格闘技に売って出る事もスタイルを似せる事もしませんでした。
時代は遡って1996年 武藤のキャリアで組まれた唯一のペドロ・オタービオとの異種格闘技戦では、顔面パンチ有りのルールにも関わらず 武藤は相手の顔面を殴る事を最後までしませんでした。
最後の首筋へのマウントパンチは、ちょっとアレでしたが。
1997年のムタとしての小川直也戦では、痛快なまでにムタワールドに柔道王を引き込み完封勝利
帯を使って首を絞めたり 毒霧噴射などやりたい放題でした。
1999年のドン・フライ戦では、序盤からドロップキックに、ムーンサルトを繰り出すなど最初から最後までプロレス技で応戦
格闘技全盛の2000年代に入っても武藤はブレる事無く プロレス流の膝蹴り=シャイニングウィザードを開発したり プロレスLOVEを体現するかの様に、あの時代においても武藤の試合は、いつだって”プロレス”でした。
プロレスラーとしての自分を象徴する技
両膝が潰れるまで ムーンサルトプレスを最後まで捨てずに、そして三銃士・四天王世代最後の一人になっても まだ元気にプロレスLOVEを貫いています。
武藤敬司の事だから きっと死ぬまでプロレスLOVEを貫くんでしょうね。