獣神サンダー・ライガーのSSD

多彩な技を持ち、新日本でマスターした技に加えて メキシコ仕込みの技も使いこなす獣神サンダー·ライガーは、使わなくなった技も含めると業界でも屈指の多数な技の使い手です。

 

多数の技を使いこなすライガーだけに、これまでフィニッシュにした技も多く、打撃技から投げ技、様々な間接技で試合を決めて来た事が多数ありましたが、そのライガーが使用した事を「後悔した」と言う技が、一つだけあります。

 

1997年1月は、ライガーが、長いキャリアの中で最も自分の行動を後悔した日かも知れません。

 

1994年~1996年は、ライガーを発起人に各団体を巻き込んで 色々なJr.ヘビー級の大会を開催した時期でもありました。

その各大会の成功を受けて当時の新日Jr.は、大袈裟ではなくヘビー級をも凌ぐ勢いを見せ、新日Jr.の行き着いた先にあったのは、各団体の王座を統一したJr.八冠王座。

 

各団体の王者が、全試合ベルトを懸けながらトーナメントで闘い 優勝した者が最後に8本のベルトを手にすると言う、今では現実不可能な凄まじい大会も開かれました。

発起人であるライガーは、人気実力共にトップ中のトップなので、当然ながら優勝候補だったのですが、一回戦でウルティモ·ドラゴンにまさかの敗退。

 

結局トーナメントを制したのは、ザ·グレート·サスケで、程なくして八冠王座はドラゴンの手に渡り、1997·1·4でライガーに八冠王座挑戦のチャンスが巡ってきました。

新日本最大のビックイベントの東京ドームで、相手は前年にトーナメントで苦杯を喫したドラゴンが相手の八冠選手権となれば、ライガーもいつも以上に気合いが入っていたのでしょう。

ゴールドのコスチュームを身にまとい挑みます。

 

Jr.の頂上決戦と言える試合は、凄まじい試合となり、2人ともが持てる技を出しあうも実力伯仲の2人の激闘はなかなか終わりを迎えず、最後の最後に、ライガーが繰り出した技は、まさかのSSD

米国で怪我人が続出している超危険技で、ドラゴンの脳天がマットに突き刺さり、ヒヤリとしましたが、ようやく熱戦に終止符が打たれライガーの元に、八本のベルトが集まってきました。

 

難敵のドラゴンを仕留めるには、SSDを出さざるを得なかったのかも知れませんが、試合後のライガーは悲願の八冠王座獲得の喜びもよそに、あんな危険技を出してしまった事をしきりに後悔していました。

若い頃からの付き合いで、これまでも何度も闘い 前年のトーナメントは屈辱の一回戦を喫しているドラゴンが相手だからこそ…誰よりもドラゴンの実力をしっているからこそ…だからこそ、あそこで思わずSSDを繰り出したのだと思います。

 

もしドラゴンが相手じゃなければ、あそこでライガーがSSDを出す事は無かったでしょう。

その後ライガーは、20年以上に渡って現役を続けましたが、SSDを再び使う事は無く現役を終えています。

 

 

あの時SSDを使ってしまったのは、ライガーにとっては一つの汚点だったかも知れません。

しかし超危険技でも平然と使う選手が多い中で、ライガーのプロレスの美学を見た気がしました。