1990年代中頃からのJr.ヘビー級ブームの際に、大ブレイクを果たしたスペル·デルフィンですが、デルフィンのイメージと言えばあの個性的なビジュアルもそうですが、人を食ったようなパフォーマンスと独創的な技の数々を真っ先に思い浮かべると思います。
当時のデルフィンを知っていた人からすれば、デルフィンに強烈な打撃技のイメージなんか皆無だったでしょうね。
強いて言うなら美しいドロップキックと スイングDDTの前の張り手くらいでしょうか。
しかし そんなデルフィンに、打撃技を習得するに至る出来事が降りかかります。
1997年
当時のみちのくプロレスで勢いを増していたディック東郷率いる海援隊DXに、軟派なキャラのせいかデルフィンは標的にされてしまい、連日の様にボコボコにされ苦しい日が続きます。
そんな中で、衝撃的な東郷への股くぐり事件が勃発し その後デルフィンは失踪してしまいます。
「デルフィンは終わった」と囁かれ、公の場から姿を消したデルフィンの元に、グレート·サスケらが説得に訪れたりと、デルフィンをリングに戻す為に、奔走したのが実を結んだのか、このままではいけないと デルフィンがようやくリングに戻る決意をします。
しかし このまま戻ったのでは、強大になりすぎた海援隊DXに、とても太刀打ち出来ないとデルフィンが導きだした打開策は
打撃技
今までは全く無縁だった 打撃に活路を見いだしたのです。
新たな武器となる打撃を習得する為に、デルフィンが頼ったのは、シュートボクシングの実績を持つ村浜武洋でした。
村浜は後にデルフィンが立ち上げる大阪プロレスに、入団する事を考えると 全ての物事は後々に意味がある物だと考えさせられますが、この村浜との特訓で身に付けたのが、走り込んで勢いを付け、相手のアゴをカチ上げる様に放つアッパー式の掌打。
大阪臨海アッパーでした。
デルフィンにしては、珍しい打撃技ですが、
この技が、デルフィンのスランプ脱出に大きく貢献し 復帰戦となった海援隊DXとの6人タッグマッチでは、大阪臨海アッパーからのデルフィンクラッチで、見事に東郷を撃破して完全復活をアピールしています。
完全復活を果たしたのは、肉体改造した事と、最後まで勝負を諦めない強い心があったのは言うまでもないのですが、それを支えたのは大阪臨海アッパーだった事も確かです。
いつもの軟派でおちゃらけたデルフィンも、この日ばかりは強いデルフィンでした。
これ以降、大阪臨海アッパーはデルフィンの強烈な武器となり、悪の道に走ったSASUKEとの一戦では、ウルトラ・ウラカンラナを豪快な大阪臨海アッパーで迎撃し勝利を収めたり、大阪プロレス時代には新日本プロレスとの対抗戦で、タッグマッチながらも獣神サンダー・ライガーから大阪臨海アッパーで、フォールを奪った事もある。
この2000年代前半までは、良かったんですが徐々に、デルフィンは第一線から退いて
お笑い路線の試合が増えたせいか、大阪臨海アッパーにも以前のキレは無くなり、普通の繋ぎ技になってしまったのが、少々残念でした。
沖縄プロレスに移籍後は、地元の沖縄国際通りにちなんで「国際通りアッパーと」改名されたが、正直こちらは微妙な感じです。