BUSHIはインサイドワークと毒霧を使いながら、巧みなテクニックで戦うイメージがあると思いますが、かつてはその身体能力を駆使して闘う華麗な技の使い手でした。
現在のBUSHIしか知らない人からすれば、彼がファイーバードスプラッシュや、大一番ではフェニックスプラッシュまで使っていたとなると少し驚くかも知れません。
しかし2011年には三半規管の異常と診断され 長期欠場を余儀なくされてしまうのですが、これは空中殺法を使うレスラーにとっては致命的で、治らない様であればファイトスタイルの変更を考えなくてはいけないのですが、どの程度まで治ったのかは分かりませんが、BUSHIの華麗な空中殺法は徐々に影を潜めていくようになっていきます。
2012年には、新日本プロレスにレンタル移籍
この頃のBUSHIは、ブシロールを開発する等して 自分のコンディションに有ったファイトスタイルや必殺技を模索していた時期が続いていたのだと思います。
2013年には、以前から使用していたコードブレイカーをMXとして、ダイビング式で使用する様になり、当時ヤングライオンだったYOHに試し切り。
フォールを奪うも初公開時は、まだネーミングされていなかった為に、ダイビング式コードブレイカーと表記されており、にちにエムエックスと命名。
当初はカタカナ表記でしたが、最終的にMXで統一されました。
コーナーから飛ぶ見栄えの良い技でありながら、平衡感覚を必要とする様な難易度の高い派手な技では無く 危険度も低いのでプロレス的には優れた技の一つです。
しかし2015年には、BUSHIを更なる不幸が襲い、試合中のアクシデントにより、急性硬膜外血腫、脊髄震盪、第12胸椎骨折の重傷を負ってしまい、全治6か月の長期欠場に追い込まれてしまいます。
追い打ちをかける様に、復帰に向けてのトレーニング中に、右目眼窩底骨折の怪我を負い、欠場期間が延びてしまう不運っぷり
さすがに、ここまで重傷を負ってしまっては、今までの様に華麗な空中技を使うには、それこそ命がけです。
この欠場明けの2015年に、内藤哲也と行動を共にする事を決意してロスインゴに加入する訳ですが、この時のヒールターンは、相次ぐ負傷によるコンディションの悪化でファイトスタイルの変更を余儀なくされた事や、似たような境遇でありながら自分の前を走っていたKUSHIDAに対する焦りから来ていたのだと思います。
ロスインゴのBUSHIとして生まれ変わった時には、既に現在のスタイルが完成されており、スピードを活かした攻撃とインサイドワークや毒霧を駆使して闘い、稀にブシロールで試合を決め 基本的なフィニッシュは、MXで固定。
度重なる負傷は不運としか言いようがありませんが、ヒールに振り切った現在のBUSHIのスタイルは嫌いじゃないです。 KUSHIDAとの抗争は間違いなく一時期の新日Jr.を支えていたし、面白かったですから。
この時期はIWGPJr.ヘビー級王者のKUSHIDAと何度も闘っていたので、必然的にBUSHIも注目される事も多く MXで勝利する事も今よりもグンと多かったと思います。
MXはセカンドロープとトップロープからの2種類を使い分けており、最初にセカンドからの一撃を放って カウント2で返された場合に、トップからの2発目でフォールを奪う事が大一番では多く KUSHIDAとのIWGPJr.選手権でもこの連携で勝利。
ただ相手の受けに、依存する部分が大きい技でもあるので、受け手によって大きく技の見映えが変わってしまいます。
歴代のMXを受けた選手で、ベスト3を決めるとするのなら、KUSHIDA、外道、金丸義信が鉄板でしょうか。
この三人の中で順位は付け難いですが、敢えて一位を決めるのなら やはり抗争をしていたKUSHIDAが一位かも知れません。 KUSHIDAから王座を奪った時の一撃がベストMXでした。
勿論 金丸や外道も素晴らしいんですけどね。
受け方は皆共通していて、まるでスプリングでも入ってるのか!?って位に、バイーン!って感じで後方に大きく跳ね返っていくので、更に見栄えもアップします。
プロレスに置いては、受け方ってのはつくづく大事ですね。