2015年11月15日は、プロレス界で様々な伝説を作った男
風雲昇り竜・天龍源一郎がリングを降りた日です。
日本人で唯一B・I砲をピンフォール、48歳での最年長IWGPヘビー級王者など・・・国内で様々な伝説を残してきた天龍ですが、2015年時点で65歳。
長年の激闘の後遺症もあり、既に身体はボロボロで昔の様には動けず、使える技も限られてきた状況で、天龍はこの年齢まで良くもリングに上がっていたと思います。
これもひとえにプロレスが、好きだったからだと思います
しかし記者会見にて、これまで頑なにリングに上がる事を選び続けた天龍が遂に引退表明。
「妻の病気で、今度は俺が支える番だ」
「プロレス人気の盛り上がりにそろそろ潮時かな」
天龍はこう語りました。 ずっと自分を支えてくれた最愛の妻への恩返し、プロレス界はもう大丈夫と言う安心感 この2つが天龍に引退と言う思う決意をさせた理由です。
頑固者を絵に描いた様な天龍が、引退を決断したにあたっては充分過ぎる 天龍らしい理由だと思います。
そして 2015年6月26日、天龍プロジェクトの記者会見で、最後の舞台として11月15日の両国国技館興行にて引退試合を挙行する事を発表。
「国技館で初土俵を踏み、最後は国技館で終わるとは、これも一つの運命」と、引退試合を行う心境を語った[34]。
これまた天龍らしい花道と言えるでしょう。
しかも驚いた事に、天龍が最後の相手に選んだのは新日本プロレスのオカダ・カズチカでした!
この数年前に、東スポプロレス大賞にて オカダが2012&2013にMVPを連続受賞しましたが、過去に連続受賞をした事があるのは天龍・猪木・鶴田の三人のみ。 これを受けてオカダは、ふてぶてしい態度で
「猪木選手、鶴田選手、天龍選手、その3人は僕と同じ時代じゃなくて良かったなと。同じ時代だったら、そんな記録は出来ていないと思いますので、僕よりも大分、前の時代にプロレスラーとしてそういう記録を取れた事を、僕に感謝して欲しいなと」
と当時のオカダは、ふてぶてしいヒールキャラだったので、こう言うコメントをしたのだと思いますが、自分の闘いとその対戦相手に誇りを持っている天龍は、このコメントに大激怒。
これ以降オカダとの対戦を再三 口にしてきました。
そんないきさつが有った物の、対戦は実現しないまま2015年になり8月16日の新日本プロレスのG1優勝決定戦の会場に現れたのは天龍源一郎!
何とオカダを引退試合の相手に指名し 後ろ受け身を取るパフォーマンスまで見せて まだまだ出来るぞと言う事を見せつけました。
当然オカダもMr.プロレスの指名を断る理由も無く これを受諾し決定。
これまでリング上では一切の接点の無かった2人が、最初で最後の激突をする事になります。
そして運命の天龍源一郎引退の日
数年前のいざこざも勿論 引退試合の相手にオカダを選んだ理由の一つでしょうが、オカダは紛れも無く未来のプロレス界を支える存在なので、オカダが本当にそれに相応しい男であるかを 見極める為の闘いだったのかも知れません。
もしかしたら最後に、自分の全てを託す為の闘いだったのかも知れません。
普通に考えれば引退表明をした65歳の天龍が、現役バリバリで第一線で闘っているオカダ相手に、勝てる筈が有りません。
そんな事は、当の天龍も百も承知でしょう。
しかし天龍は己の持てる全てを出しきり闘いました。 オカダの技をギリギリまで受けて何度ドロップキックで吹っ飛ばされたかも分かりません。
不完全だったとは言え、パワーボムも出しました。
53歳も出しました。
そして最後は、オカダ必殺のレインメーカーに撃沈
完全燃焼の完全玉砕でした。
最後は敢えて有終の美を飾る事よりも、今を生きる若い力に玉砕する事を選んだ天龍・・・最後の最後まで天龍は生き様をリング上で見せました。
Mr.プロレスと呼ばれた男が、最後の最後までプロレスの本質である”生き様を表現する”を体現してみせたのです。
引退の形には、様々な形があって良いと思いますが、天龍としてはこれが一番天龍らしい素晴らしい幕引きだったと思います。
2015年11月15日は、風雲昇り竜・天龍源一郎が、最後まで天龍らしくリングを降りた日でした。