三沢光晴の代名詞であり、今なおNOAHの象徴的な技であるエメラルドフロウジョン。
そのエメラルドフロウジンは、1998年に考案。
初期こそ一撃必殺の破壊力を誇っていた物の、使用頻度が増えるに連れてフォールを返される事も珍しく無くなって来て、トップ選手が相手になるとエメラルドフロウジョンと言えども最早一発で仕留めるのは、不可能な状況になっていました。
全日本時代とは売ってかわってNOAHは、外交も積極的にした事で、多くの選手が三沢との対戦を実現させています。
その中でも双方にとって 思い出深かったと思われるのが2003年の越中詩郎との一戦。
越中は全日本時代に三沢と同期だった間柄で、三沢の性格や癖も良く知る男です。 その越中との闘いは熾烈を極め 越中は怒濤の攻めで三沢をどんどん追い込んでいきます。
エルボーもカウント2
タイガードライバーもカウント2
必殺のエメラルドフロウジョンもカウント2
驚異的な粘りを見せる越中に、三沢はよもやの大苦戦で最後に三沢が繰り出したのは、何とブレーンバスターの体勢から相手の身体を反転させて肩の上に担ぎ変えてエメラルドフロウジョンで叩きつける今まで見た事も無い変形式でした。
この予想外の一撃で、場内はどよめきに包まれ、粘る越中の息の根を止めています。
まさか こんな入り方があるとは・・・
この変形エメラルドフロウジョンには驚かされました。
通常のエメラルドフロウジョンよりも高さが有り、より垂直に落ちる技なので、初公開時は物凄いインパクトで、その後も切り札として稀に使用。
NOAH初の東京ドームと言う、最高の大舞台で実現した武藤敬司との夢対決でも、武藤のパートナーの太陽ケアを変形エメラルドフロウジョンで沈めるなど
、ここ一番での場面で使われる事の多い 正に三沢の切り札でした。
出来る事なら最後の最後まで、この時の説得力と神通力を保っていて欲しかったのですが、2007年には丸藤正道にカウント2で返される等 100%の勝率とまではいかなくなってしまいました。
特にNOAHは技のインフレが最も激しい団体だったので、かつては一撃必殺だった技の価値も落ちて来るのも致し方ないのでしょうか?
闘いのレベルが上がるのは良いんですが、技のインフレは少しばかり残念な事態でした。
でも複数あるエメラルドフロウジョン系の技でも この変形エメラルドフロウジョンが、一番カッコ良かったと思います。
技名に関しては、変形エメラルドフロウジョンと普通な感じに落ち着いてしまい、ちゃんとした名称が付かなかったのが意外でした。
てっきり「エメラルドフロウジョン2003」とかになると思ってたんですけどね。