プロレスにはリング上での襲撃だけではなく、駐車場など会場の外で因縁の相手を襲撃する事も希にあります。
しかしプロレスから逸脱した 警察沙汰の襲撃だけは、絶対にやってはいけませんね。
1999年の11月14日は、ガチの”ある”襲撃事件が起こった日でした。
UWFインターナショナルは、スポーツライクなUWF系の団体とは思えない位に攻撃的な団体として知られていました。
業界ではタブーとされている根回し無しの会見場での他団体のエース格選手へ名指しでのトーナメント出場要請。
有名外国人選手の引き抜き。
他団体やその選手に対しての挑発的な言動。
話題性はともかくとして、色々と問題の多い団体ではありました。
襲撃事件の発端となったのは、1994年に前田日明 率いるリングスとUインターの対抗戦が持ち上がった時です。
「前田なんて終わった人間。高田さんが出るまでもない。自分が200%勝ちますよ」
と安生が挑発。
当時の両者の格を考えると、安生が言えるような事では無いのですが、先輩の前田を呼び捨てで、格下の過去の人間扱い。
これには、喧嘩っぱやい前田も激怒。
「安生と道で会ったら、タダじゃ済まさん。家族の前で制裁してやる」と応じる構えを見せます。
ここでUインターは、何と前田を名誉棄損と脅迫で告訴すると言う手段に出て、裁判沙汰に発展してしまいました。
プロレスとして決着をつけるのならまだしも、自分達から挑発しておいて前田の発言が過激だったとしても挑発し返されると裁判に持ち込むと言うのは、正直どうかな…とも思ったのですが、この時は前田が謝罪会見を開く事で、一応の決着はついています。
しかし表面上は前田の謝罪でこの一件は終わったと言っても、内心そうはいかないのが人間と言う物。
1996年6月のFIGHTING TV サムライ開局のパーティーで、間の悪い事に前田と安生が遭遇してしまったのです。 壇上での記念撮影の際に前田が安生に対して「なめんなよ」と裏拳を入れてしまい、一触即発の雰囲気に!
この場は、大御所アントニオ猪木が、仲裁に入った事でどうにか大事には至りませんでしたが、こうなってしまっては2人の溝が広がる一方。
この時から安生が「前田さんと揉めたら殺る」と周囲に漏らしており、周囲の人間はひたすら安生と前田が、再び鉢合わせしない事を祈るばかりだったと言います。
しかし そんな周囲の人間の心配をよそに、遂に事件は起こってしまいました。
1999年11月14日
東京ベイNKホールで開催されたUFC-Jの大会終了後、インタビューを受けている前田に、背後から安生が忍び寄り不意打ちのストレートで前田を殴打!!
インタビューの最中の死角からの襲撃とあっては、さすがの前田も対応出来ずに前のめりに倒れて失神してしまったのです。
いや・・・プロレス的なアングルならまだしも ガチの襲撃事件はヤバイです・・・
安生曰く「パーティーの席でやられた時のお返し」との事で、あの時の報復行為だった事を明かしていますが、公の場所での襲撃事件はさすがに、洒落になりません。
安生としては「文句があったらリング上でやろう」という流れに持って行く算段だった様ですが、前田が何も知らない状態で、本当の不意打ちを喰らわせた以上は、ここからビジネスでも有るプロレスに発展させると言う事は、まず現実問題として難しいでしょう。
結局 安生は傷害罪により略式起訴され、2000年に罰金20万円の略式命令を受けました。
当時の前田は周りの人間に嫌われていた部分は有ったようで、実際に絶縁宣言している人間もUWFの仲間でも居た様です。
それでも後ろから殴りかかるなんてのは、いくらなんでも普通にヤバいし、絶対にやってはいけない事。
あの安生が、ここまでやる位なのだから2人の間には、我々ファンの間には計り知れない確執があったのでしょうね。
しかし 一歩間違えれば、安生は懲役になっていても おかしくなかったし、プロレス界の大幅なイメージダウンにも繋がりかねない事件だったと思います。
1999年の11月14日は、安生洋二が”前田日明襲撃事件”を起こした日でした。