蝶野正洋の代名詞を挙げるのなら間違いなくSTFですが、個人的にSTF以上に好きな技が、バタフライロックでした。
1995年のUWFインターナショナルとの対抗戦が、初公開だったと記憶しています。
10.9の全面対抗戦では、対戦相手の欠場により 蝶野の試合が無くなってしまった訳ですが、同時にUインター勢を相手に蝶野ならどう闘うんだろう?・・・と言うよりも何の技で勝つんだろう?と言う疑問が出て来ました。
一番の必殺技はSTFでしたが、当時はガチの幻想が強かったUWFスタイルに「相手をダウンさせて、うつ伏せにしてから足を極めて顔面を極める」と言う一連の動作が成功するのか?と思ったのです。
そんな蝶野に、Uインターとの試合の機会がやって来ました。
Uインターとの初戦こそ、Mr.200%に変貌した安生洋二によもやの敗戦を喫してしまいますが、そこから始まった安生との抗争。
天山広吉と組んで安生&高山善廣との一戦で、安生の蹴り足を取って 片足を払うと素早くSTFに入る場面もありましたが、最後は高山を初公開のバタフライロックで仕留めています。
今まで見せた事のない技だったので、蝶野がこんな技を使う事にちょっとした驚きでした。
STFに比べたら スムーズに技の体勢に入れるのは大きいですね。 少し体勢を崩せば、基本的に技を受けないUWF勢が、相手でも技を成功させやすいですから。(実はUインターもちゃんとプロレス やってましたけどね)
この試合はUインターのリングで行われたのですが、試合が収録されているUインターのビデオを観るとフィニッシュの記載は「首固め」。
初公開の技だから、技名が分からないのはしょうがないし、確かに首は極まっているけど・・・首固めだとスモールパッケージにしか見えません(笑)
当時は「羽根折固め」と呼ばれており「バタフライロック」と言われるようになったのは、もう少し後の時代だったと思います。
安生戦での敗戦から2カ月後の再戦でも、この技でギブアップを奪い蝶野の「対UWFの技」だったのかどうかは定かではありませんが、これを最後に暫くの間 使われなくなってしまいます。
蝶野が重心を低くして 体重を乗せた時の相手の首の極まり具合が、なかなかエゲつないので かなり強烈な技だったと思いますが、見れなくなったのは少し残念でした。
しかし1997年のG1での小原道由戦で、唐突に復活する事になります。
何の心境の変化か、使われなくなった技を引出しから出して来たのは喜ばしい事です。 それ以降は頻繁に・・・と言う訳では有りませんが、ここぞと言う場面ではバタフライロックを時折繰り出すようになります。
NWO-JAPANから追放された際に、武藤敬司からバタフライロックでギブアップを奪い、報復に成功しているのも印象深いですね。
あの時は、かなり重心を低く構えてガチで首を極めに来たので、武藤の首が完全に極まってしまい、うめき声を出すのが精一杯で観動きすらとれなくなり、バタフライロック史上 最もエゲつなかったかも知れません。
蝶野正洋も現在はセミリタイヤ状態
試合をする事は、恐らくもう無いと思いますが、バタフライロックは新日本プロレスの後輩であるYOSHI-HASHIが、しっかりと受け継いでいます。
昨今のプロレス界は、誰かの技を勝手に名前を変えて使う選手が多い中、YOSHIはバタフライロックのまま使っているのが、好印象ですね。
かつてのニックネーム「メヒコの飛び魚」にちなんで、トビウオロックとかにならなくて本当に良かった・・・