ストレッチプラムと言えば、川田利明のフィニッシュホールドの一つですが、これは技名はそのままに、初期と後期で全く違う技になった珍しいパターンの技です。
初公開となったのは、1991年
超世代軍のNo.2で、まだまだ駆け出しだった川田が、並みいる強豪ひしめく全日本マットで、のし上がる為に、使い始めた技で当初はフィニッシュとする事も多かったと記憶してます。
当初はスタンディング状態の相手に、コブラツイストの様に足を掛けて 上半身をドラゴンスリーパーの要領で、締め上げる形の技でした。
それまでの川田は、袂を分かった師匠·天龍源一郎の技を継承した技が多く 必殺技も天龍譲りのパワーボムでした。
まだジャンピングハイキックもフィニッシュになる事は無かった時代なので、この時期に使い出したストレッチプラムは、始めての川田のオリジナルホールドなので、本人にとっても思い入れは強い技だと思います。
(考案は松竹梅の梅村さんだけど)
ただ必殺技と言っても フィニッシュになるのは、四天王と呼ばれる前の格下時代の小橋建太や田上明からギブアップを奪った程度で、川田より格上のジャンボ鶴田や三沢光晴 スタン·ハンセンらからは、最後まで一度もギブアップを取れずしまいだったのが、少し残念でした。
元々 全日本では、ギブアップ決着が少ない事も有ったし、三沢ですらフェイスロックで鶴田からギブアップを奪えたのは、たったの一度だけだったので、これはしょうが無いですかね。
冬木弘道が、挑発的にストレッチプラムを「冬木スペシャル」として使用を始めたのが、関係あるかどうかは分かりませんが、1993~4年頃でしょうか
ストレッチプラムは、大きな変化を加えられる事になります。
正直ストレッチプラムは余り安定感のある技では無かったし、ヘビー級としては決して大きくない川田が、大型のハンセンや鶴田に極めるのも少し無理があったので、後に改良を加える事になったのは、必然だったのかも知れません。
それまでスタンディングで極めていたストレッチプラムに対して 改良型は、相手の腰を落とした状態で足を掛けて ドラゴンスリーパーで締め上げるのでは無く ネジ切らんばかりに真横に捻り上げる形に変貌しました。
これは面白い改良だなと 当時は思いましたね。
フックの仕方は何も変わっていませんが、技の性質自体が完全に変わる この大胆な改良は、オカダ・カズチカのレインメーカー並みだと思いますが、この改良は大成功だと思います。
どんなに大きい相手にも関係なく仕掛けれるし、腰を落としている分だけ 初期型と比べて安定感は桁違いですから。
ただ悲しいかなストレッチプラムに改良が加えられた時期は、既に過激な四天王プロレスの時代に突入しており 絞め技でのフィニッシュは、以前にも増して少なくなっていたので、ストレッチプラムは完全に繋ぎ技扱いとなってしまいました。(格下相手には決まっていましたが)
ジャンピングハイキックや垂直落下式ブレーンバスターが、川田のフィニッシュとして確立していたのも大きな要因かも知れませんが、ストレッチプラムは、結構好きな技だったんですけどね。
しかし大量離脱後の2004年の川田政権時は、全日本の風景が様変わりしていた事もあり 再びストレッチプラムでのフィニッシュになる事が多くなったのは、嬉しい限りでした。
そんな川田も現在は、セミリタイア状態で本家ストレッチプラムを見る事は、もはや叶いませんが、タイチや長井満也が継承しているのを見ると 川田の遺伝子はプロレス界にしっかりと受け継がれているのだな・・・と感じます。
ディヤァァァッの掛け声と供に、捻り上げるストレッチプラムをプロレスごっこで、友達に掛けたら痛いと言ってくれずに「気持ちいい」と言われてしまったのは、今では良い思い出です。