今のプロレス界は、団体間の交流も頻繁に行われ まだ見ぬトップ同士の夢の対決と言うのも随分減って来ました。
それが良い事か悪い事かはさておき、各団体のトップが同じ場所に集結した時の感動や興奮は、今の時代では余り感じる事は、出来ないかも知れませんね。
最近のファンは信じられないかも知れませんが、1990年代前半は、個別に団体同士の交流はあった物のオールスター的な物を開催するには、様々な利権も絡む事からなかなか難しい時代。
加えてインターネットや衛星中継なども無く 新日本と全日本以外はテレビ中継も無いので、ファン以外は積極的に情報を集めない限りは、インディー団体の選手を知らない人も多く ましてや試合を観た事も無い・・・なんてのはザラでした。
しかし プロレス界に存在していた”壁”を取っぱらったのは、獣神サンダー・ライガーを始めとしたJr.ヘビー級の選手でした。
雑誌の対談で、各団体のJr.ヘビー級の選手が一堂に集まり、未来のプロレス界の為に夢を語り合い オールスターを是非やりたい!と言う内容は、読んでいて夢を膨らませてくれる 希望に満ちた内容でした。
「団体の顔であるヘビー級が無理でも Jr.ヘビー級なら・・・」
Jr.ヘビー級はヘビー級の下!と言う当時の偏見を 逆手に取るかのように、立場的に身軽に動けるJr.選手達は、本当に行動に移しライガーが主導となり 新日本プロレス主催で、1994年4月16日 Jr.ヘビー級の夢のオールスター J-CUPが初開催されたのです!
新日本プロレス代表 獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、大谷晋二郎
WAR代表 外道
みちのくプロレス代表 グレート・サスケ、スペル・デルフィン、TAKAみちのく
FMW代表 リッキー・フジ、ハヤブサ
SPWF代表 茂木正芳
WCW代表 ワイルド・ペガサス、ブラックタイガー、ディーン・マレンコ
EMLL代表 ネグロ・カサス
今見ても 物凄いメンバーが集まったと思います。
第一回が伝説と言われるのも頷ける陣容です。
当時としては残念だったのは、WARからウルティモ・ドラゴンが出なかった事や全日本プロレスが不参加だった事くらいでしょうか・・・
それでも良くこれだけのメンバーが、揃ったなと・・
これもライガーと新日本のプロデュース力や人脈
何より各団体と各選手のリスクを顧みない勇気と プロレスを盛り上げようと言う強い決意の集大成だったと思います。
ご存知の通り この大会は、伝説の大会として現代にも語り継がれる程の大成功を収め サスケ、デルフィン、TAKA、ハヤブサらが多くのファンの目に触れる事で、その実力と才能を認められ 大ブレイクを果たした事は、日本マット界にとっても実に有益な事でした。
それまでは、インディー団体は駄目だ!とレッテルを貼られていた事も多かったかもしれませんが、この日を境に「インディーでも凄い奴は凄いんだ!」と多くのプロレスファンが、インディーへの偏見を無くしたかも知れません。
それだけでも この大会が開催された意義はあったでしょう。
今後は同大会を持ち回りで開催して 各団体がそれぞれ潤う様にしようと言う体制も素晴らしく 本当に利益の為だけではなくプロレス界の為の大会だと言うのが、良く分かります。
この大成功が、後のJ-CUP 2nd STAGE
スカイダイビングJ・・・Jクラウン・・・と Jr.ヘビー級の大会が、次々と開催される様になった全ての始まりだったのは、言うまでも有りません。
1994年4月16日は、SUPER J-CUPが初開催された日でした。