2013年12月7日は、かつて全日本プロレスで四天王の一角を担い、時代を作った選手の一人 ダイナミックTこと田上明が現役を引退した日です。
当時の田上は、ノアの代表取締役社長に就任していた事と体力の低下、そして長年の激闘により身体はボロボロになっていた事もあり、選手としては既に第一線を退いていました。
正直いつ引退の決断をしてもおかしくはない状況だったとは思います。
それでも三沢光晴の急逝と川田利明がセミリタイア状態だった事から、残った四天王の2人である小橋建太と田上には、頑張って貰いたかったのですが・・・
その小橋が、同年5月に引退をしてしまった事が、田上の中では大きかったのかも知れません。
小橋引退の数日後に、田上の引退発表があり、あの激闘を繰り広げてきた四天王がプロレス界から遂に去る事で、間違いなく一つの時代は終わりを告げる事になるし、その時代のプロレスに熱くなっていた者としては、寂しさもありました。
小橋の引退から立て続けに、今度は田上・・・という事で唐突感と驚きは確かにありましたが「前座でのんびりやるよりスパッと辞めたい」と語っていた田上らしくもありました。
こうして「GREAT VOYAGE 2013 in Tokyo Vol.3 〜田上明引 退記念大会〜 」として東京・有明 コロシアム大会には、8500人の観客が詰めかけ 田上明の最後の試合を見守る事になりました。
パートナーには、歴代の付き人だった森嶋猛&杉浦貴&平柳玄藩が並び立ち、対戦相手には天龍源一郎&藤波辰爾&井上雅央&志賀賢太郎という異色な8人タッグマッチ。
ほとんどが団体内の選手では有りますが、天龍は全日本プロレス時代の先輩後輩と言う間柄なので、繋がりも決して浅くは無いので、ここにエントリーされたのも分かります。
でも「何故ここに藤波?」と疑問に思った人も多いでしょうね。
実は田上が、年間グランドスラムを達成した全盛期とも言える時期に、最も闘いたかった相手と言うのが、何と藤波辰爾だったと言うのです。
これは何とも意外と言うか・・・田上が藤波に対してそんな感情があったとは思いもしませんでした。
しかし いざ試合が始まれば、憧れの感情は別物
コンディションが良かったとは言えないまでも 藤波に対してもノド輪落としを仕掛けるなど、田上は最後まで田上らしく闘い抜きました。
ラストは、平柳の昇龍玄藩、森嶋のバックドロップ、 杉浦のオリンピック予選スラムという歴代付き人達の最高のアシストを経て 雅央に必殺の俺が田上を炸裂させて 有終の美を飾りました。
試合後には 川田利明、小橋建太
そして三沢光晴さんの遺影が登場し 最後の最後で90年代のプロレス界を全力で駆け抜けた 全日本四天王が終結した場面では、流石に熱くなる物がありました。
正式な引退試合を行っていない川田には、出来るなら田上の引退試合に名前を連ねて欲しかった気持ちはありますが、そこはまぁしょうがないですね。
ともあれ これで一時代を築いた四天王の歴史も 実質上は終わりを告げる事になります。
時には世界一激しい90年代の全日本プロレスで、グランドスラムを達成するなど、田上火山と呼ばれる程の凄まじい活躍をみせる事もあれば、時にはあの勢いは鳴りを潜め 存在感まで消してしまい休火山と揶揄される事もあった田上は、日本マット界でも随一の波の激しいレスラーでした。
しかし田上が居たからこそ、四天王はバランスが取れていたと思うし 強烈な個性を出す事が出来たのも事実。
田上は紛れも無く、大量離脱により危機に瀕した90年代からの全日本プロレスや 2000年に旗揚げしたノアには無くてはならない存在だったと思います。
「今までどうもありがとうございました」
「これからは若い人達に頑張って貰いたい」
最後の挨拶も必要以上に、長い言葉を残す事無く 物凄く簡潔に・・・そして後輩達にプロレスの未来を託して、田上はリングを去って行きました。
これもまた非常に田上らしいと言えば、田上らしいんですけどね。
2013年12月7日は、ダイナミックTこと田上明が、現役引退をした日でした。