2007年12月2日は、鉄人・小橋建太が肝臓癌を克服して闘いのリングに戻ってきた日です。
人間ならば誰しもが、病気や怪我のリスクとは隣り合わせですが、屈強な肉体を持つプロレスラーとて それは例外ではありません。
試合中の怪我に関しては、選手本人もある程度は覚悟の上でしょうが、病気に関しては、一切の覚悟もなく最悪の場合は死の恐怖すらもある本当に恐ろしい物です。
これまで多くのレスラー達が、病魔と闘ってきましたが、個人的には一番ショックを受けたのは、2006年に小橋建太に肝臓癌が判明した時。
当時の小橋はまだ39歳で、第一線でバリバリやっている現役の小橋クラスの選手がこんな大病を患った事など今でも一度も無かっただけに、本当にショックだったし驚きました。
毎年行っている定期健康診断で、発覚したそうなのですが「癌=死」というイメージが強いだけに、一度は小橋も死を覚悟したと言います。
実際に最悪のケースを考えてしまった人も多いでしょうし、一命は取り留めたとしてもプロレス復帰は無理・・・これは誰もが思ったでしょう。
何せ肝臓癌になって復帰を果たしたスポーツ選手は、過去に例が無かった事なので、いくら鉄人小橋といえども今回ばかりは、どうにもならないだろう・・・そう思わざるを得ませんでした。
プロレスラー小橋はもう観れなくなったとしても、せめて命だけ助かってくれればそれで充分。
そう諦めていました。
しかしそう思っていたのは周りの人間だけで、こんな状況でも小橋本人は、プロレスラーであり続ける事を全く諦めていなかったのです。
へその下を10cmも切る手術は、無事に成功して一命は取り留めましたが、本当に大変なのはここからで、衰えた筋肉を取り戻す為のトレーニングや苦しいリハビリに耐える日々が、ひたすら続いていく事になります。
全ては「最後までプロレスラーの小橋建太」であり続ける為に。
そして2007年12月2日
小橋建太は、546日ぶりにリングに戻ってきました。
隣に立つのは高山善廣、そして相対するは、小橋不在のノアを守ってきた三沢光晴と秋山準の2トップ。
いかに小橋といえども病み上がりの体で勝てる相手ではありません。 しかし小橋は今持てる全ての力を使い、ムーンサルトプレスまで繰り出し懸命に闘いました。
結果は三沢の奥の手である雪崩式エメラルドフロウジョンにより小橋敗北。
現状を考えれば予想通りの結果と言えるかも知れませんが、負けたという事実よりも この激しいリングに戻って来られた・・・そんな思いの方が小橋には強かったと思います。
「やっぱりリングは良いね。リングは最高だ。みんなに元気を与えられるようなレスラーになりたい。」
充実感に満ちた表情で、試合後に小橋が語った この言葉が全てだったのでしょう。
これまでプロレス界には、数々の復帰戦がありましたが、この時ほど熱くなった復帰戦はありませんでした。
もちろん無理はして欲しく無かったですが、肝臓癌という大病を患い、肝臓摘出からの復帰という過去のスポーツ界にも例をみない偉業を成し遂げているからこそでしょう。
癌という強敵に、絶対王者として挑み見事に打ち勝ったのだから、そこは例え小橋ファンでなくとも大きな感動を覚えた事でしょう。
みんなに元気を与えられるようなレスラーになりたい・・・と小橋は言っていますが、癌を克服してリングに上がりあんなに熱いファイトを見せてくれた時点で、とっくに元気だけではなく、同じ境遇の人や人生に疲れた人達にも間違いなく夢や希望を与えてくれたと思います。
いや、もっと言うならこれまでのどんな会場でも決して手を抜かない全力投球のファイトには多くの人が、元気を貰ってきた筈です。
「プロレスラーとして生き続けます」とも小橋は言いましたが、これこそが小橋の生き様でしょう。
どんな大怪我に苦しんでも
どんなに病に蝕まれても
小橋は体が動く限り、諦める事無くリングに立ち続けました。
みている人に元気を与えるため・・・そして大好きなプロレスを続ける為に。
2013年に現役引退をするまでの間も小橋建太は、誰よりもプロレスラーらしいプロレスラーであり続け、己の信念を何一つ曲げる事無く 文字通りにプロレスラーとして生き続けました。
2007年12月2日は、鉄人・小橋建太が肝臓癌を克服して闘いのリングに再び戻ってきた日でした。