ドラゴンスクリュー、足4の字固めを始めとした足攻めで試合を組み立てて、シャイニングウィザード、稀にムーンサルトプレスやフランケンシュタイナーで試合を決める2000年代以降の武藤敬司しか知らない人からすれば、90年代前半の武藤を観たら驚くでしょうね。
当時から既に膝は悪かったですが、ムーンサルトプレスの積み重ねで痛めた物なので、90年代前半ともなると今ほど負傷の具合も酷くなく、多少の無理も利いたし 今では考えられない華麗な動きや力強い技も繰り出したりしていました。
90年代前半の武藤が使っていた技で、すっかり使われなくなった技の代表格と言えばジャーマンスープレックス等のスープレックスでしょう。
かつての武藤は、あの長身にも関わらず、ヘビーを相手にしても見事な人間橋をリング上で描いていました。
実際に橋本真也やベイダーをもジャーマンで投げた事もあるばかりか、投げっぱなしではなく、しっかりホールドまでしていますから。
その中でも武藤のジャーマンで、最も驚きを覚えたのは、1991年の何気ない普通のタッグマッチの事です。
武藤&長州 vs ビガロ&TNT
特にこれといったテーマも無い試合だったし、この面子をみたら大半の人は武藤か長州が、TNTをフォールして終わりだと思っていたでしょう。
しかし試合結果は、意外や意外
何と武藤が見事なジャーマンスープレックスでビガロを投げ、しっかりとホールドまでして3カウントを奪ってしまったのです。
これには驚きました。
失礼ながら誰もが負け役だと思っていたTNTではなく、ビガロが負けた事にも驚いたのですが、当時は武藤に力強いイメージなんて無かったのに、160㎏を超えるビガロを投げてフォールまで奪うなんて・・・
直前に長州の力ラリアット2連発のアシストがあったとは言え、それでもビガロの巨体を投げきり固めた事が凄いです。
あの頃の武藤は、スピードやバネが一番目立っていた部分ではありますが、何気に武藤の身体能力の高さには、本当に驚かされるばかりでした。
華麗な飛び技に、相手を選らばないスープレックスまで使いこなすとあっては、当時の武藤人気の高さも当然と言えば当然ですね。
ただ残念ながら膝の状態の悪化により、ブリッジで相手を支えきれなくなってしまい1995年5月を最後に、スープレックスを封印してしまいました。
武藤のスープレックスは、大好きだったんで封印になってしまったのは残念ですが、後に人工間接になるほど膝の状態の悪化が進んでいく事を考えれば、こればっかりはしょうがないですね。
スープレックスという武器を失っても それでもファンを魅了する闘いをしてきた武藤敬司は、正しく天才レスラーだったと思います。