1955年11月16日は、現存するプロレス界の最古のタイトル、アジアタッグ王座が誕生した日です。
かつてのプロレス界は、現在のような多団体時代ではなく 力道山が旗揚げした日本プロレスのみの文字通りの一強体制。
旗揚げ2年目の日本プロレスは、アジア最強のレスラーを決めるべく シングルとタッグのそれぞれの両王者を決定する為に、アジア選手権を開催しました。
これはアジア全域を見ても 定期的にプロレス興行を行い、広く普及している国は日本以外には殆どなかったので、正しくアジアNo.1を決める大会だったと思います。
そのタッグ部門で優勝したのは、決勝戦で力道山組を撃破した キングコング&タイガー・ジョキンダー。
この優勝したチームを初代アジアタッグ王者として認定したのが、長い歴史の始まりでした。
初代王者には、力道山がなっても良さそうなものですが、この辺りには妙なリアリティがありますね。
このアジア最強のタッグチームの証しとして作られたアジアタッグ王座も数年は最高位の王座として 日本プロレスのタッグ戦線を盛り上げていましたが、1966年にジャイアント馬場がインターナショナルタッグ王座を日本に持ち込んだ事により、アジアタッグは残念ながらNo.2の王座という形に格下げされてしまいました。
その後 馬場が旗揚げした全日本プロレスに管理されるようになるもアジアタッグ王座の扱いは、世界タッグ王座よりも下で、ご存じの通り中堅や若手の登竜門的な位置に甘んじています。
同じ階級の王座が複数あれば順位が付いてしまうのは、しょうがない事ではありますが、最古のタイトルがこの扱いでは正直勿体ない気もしますよね。
今では戴冠したとしても そこまで大きな実績とは認識されないタイトルになってしましたが、それでもかつては
力道山、馬場、猪木、坂口、鶴田、天龍、三沢、川田、田上、小橋、健介、鈴木、秋山、高山、大森、永田、小島
と錚々たるレスラー達がその腰に巻いてきた由緒正しい歴史ある王座である事に変わりはありません。
願わくばアジアタッグ王座の復権を密かに願っているのですが、もう有り得ないんでしょうか?
1955年11月16日は、現存するプロレス界の最古のタイトル、アジアタッグ王座が誕生した日でした。