金本浩二のタイガースープレックス

タイガーマスクの歴史には欠かせない技と言えば、タイガースープレックスですが、歴代タイガーマスクから卒業していった選手達の共通の必殺技と言えば、素顔になってからも やはりタイガースープレックスが、その一つに挙げられます。 

三代目の金本浩二は、1994年にマスクを脱いでからもタイガースープレックスを得意としていましたが、金本の場合は正式にタイガーマスクとしてデビューした1993年よりも前に、タイガースープレックスを使用していました。

正確には、プレデビュー後でしょうか

 

1992年 当時の金本は将来性有望だったとは言え キャリア的には、まだ一介のヤングライオン。

そんな金本に転機が訪れたのは、新日本の創業20周年記念大会。

記念大会と言う事で、”伝説の初代タイガーの一夜限りの復活”を企画した物の初代の佐山聡は、当時プロレスとは距離を置いていた時期だけに、佐山を連れて来る事はまず不可能。

そこで違う人物にマスクを被せて、タイガーマスクを演じて貰おうと言う事になったのですが、その役目を任せられたのが、何と金本浩二でした。

 

初代に憧れてプロレスラーになった金本は、運動神経も抜群で虎の面を被ると見事にタイガーマスクを演じて見せました。

相手は凱旋帰国のエル・サムライでしたが、普通に考えれば見た目はタイガーマスクだとはいえ、その中身はヤングライオンの金本が勝てる筈も無く、試合には敗れてしまいました。

しかし多少のギコチなさは有った物の見事なタイガー殺法を披露して 終盤には、必殺のタイガースープレックスまで繰り出す奮闘ぶり。

この時は惜しくもロープ際なので、場所さえ良ければ先輩のサムライにフォール勝ちか?と言うあわやの場面まで作り出しています。

 

これが金本の生涯初のタイガースープレックスでした。

 

その後 金本のタイガーっぷりが認められ評判も上々だった為に、ビックマッチ限定で金本は虎の仮面を被る事になるのですが、この時期から金本は素顔でもタイガースープレックスを使うようになって行きます。

ヤングライオンが、この技を使うなんて当時ではとても考えられない事でしたが、それはタイガーを演じた金本だからこそ許された特権とでも言うべきでしょうか・・・強力な武器を得た金本は、当時のヤングライオンの中で頭一つ飛び抜けた存在になっていきます。

 

そしてヤングライオンでありながら、ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.に大抜擢された金本は、なかなか白星に恵まれませんでしたが、最終戦で何とネグロ・カサスのラ・マヒストラルを切り返してから、タイガースープレックスで完璧な勝利を奪ってしまったのです!

これには当時かなり 驚かされました。

メキシコのトップ選手であるカサスから、ヤングライオンがフォールを奪ってしまうなんて…とてもじゃないけど考えられない事だったので、この勝利は金本にとっても大きな1勝となりました

公式戦での中のたった1勝

でも とてつもなく大きかった1勝です。

 

そこから飛躍的な成長を続ける金本は、エディ・ゲレロやスコーピオもタイガースープレックスで撃破。

当時のゲレロ達もまだ発展途上中だったとは言え、ヤングライオンが来日外国人に勝つなんて事はそうそう有る物ではないので、この時の金本はヤングライオンでありながら、正にタイガーマスクでもありました。

 

その後 金本は海外遠征に旅立ち、1993年には正式に3代目タイガーマスクとしてデビューし、タイガースープレックスで獣神サンダー・ライガーを撃破しましたが、1995年にはマスクを脱いだ金本浩二として 再び凱旋帰国。

それ以降もタイガー時代と変わらぬタイガースープレックスを切り札として闘い続けています。

 

IWGPJr.ヘビー級初奪取

スーパーJr.初優勝

金本にとってタイガーマスクを演じる事は、いつしか重荷になっていた様ですが、大きな舞台での初栄冠は、いつだってタイガースープレックスだったので、金本にとってタイガースープレックスと言う技は、やはり特別な技だったのでしょう。